教えられないことを教える大学

大学では、「学問」という「教えられること」を教えるところではあるが、一部、教えられないことも教えている。人文系の学科において、小説の書き方などを教えているところがあるが、小説の書き方は、基礎は教えられるがそれ以上はやはり才能である、ということは、まあたいていの人が分かっているからいいのだが、「批評」というのも、才能がなければ書けないのである。このへんは、教えている方はわりあい分かっているのだが、教わっている方は割合分かっていない。

 北村紗衣の『批評の教室』(ちくま新書)が売れているようだが、これは、大学の学部生向け、特に北村が教える武蔵大学の学部生が、批評もどきを書くための手引きであって、実際にこれを読んでも批評としては面白くない。そういうものを新書として出すべきか、ちょっと私には疑問がある。

 この本にも蓮實重彦の名前が出てくるのだが、私は蓮實の「大江健三郎論」などのテマティック批評は、特別な才能のある人にしか書けない「文藝」だと考えているし、蓮實はまさかこれを学問だと思っているわけじゃなかろうとも思う。しかしだんだんレベルを下げていくと、批評と学問の境界が曖昧になるところというのがある。私は『評論家入門』でその話はしたのだが、大学の文学の教師というのは、そこはタブーででもあるのか、話に乗ってこない。批評家と言われる人も、それは学問なのかそうでないのかという話には、乗ろうとしない。