小松美彦(よしひこ)といっても、世間では妖怪研究の小松和彦と間違われる程度に無名らしい。小松茂美の息子といったほうが通りがいいだろうか。倫理学者で今年まで二年だけ東大文学部教授だった。
禁煙ファシズム批判の人だったから細々とやりとりがあったが、2018年暮れ、私が煙草をやめて苦しんでいるころに『「自己決定権」という幻想』という妙に論争的な本の増補版を送って来た。
私は、梅原猛が臓器移植に反対したあたりから、自己決定権だの安楽死だのに関する議論が、学問的な厳密性を欠いていると思っていて、かといって評論的にも大して関心はなく、自己決定権なんてものは個別に判断すればいいんじゃないかと書いたこともあるし、宮崎哲弥と小林よしのりの「犬死に」をめぐる論争も何だか珍妙なことで争っているなあとしか思わなかった。
しかし小松の本には死刑制度批判が書いてあり、私は死刑廃止論を批判したことがあるので、メールでそのことを伝えた。それは、私に反論しないのはアンフェアではないかという含みもあったのだが、まあ相手にするに値しないと思われるということもあろうし、今の私は別に死刑廃止したっていいんじゃない、別に自分では熱心にそれを言う気はないけど、という程度に無関心である。
ところが小松が、私に本を送った理由を三つくらい述べてきて、それは禁煙ファシズム批判についてもそこに書いてあり、私ほど体を張ってはいないが戦っているからだ、と書いてあった。
私が下井守と東大構内喫煙で論争して雇い止めになったのは2008-09年のことだ。なおこれについて、海外の大学では、キャンパス内屋外を全面禁煙にしている例というのは知らない。それはそうと、この事件の時、駒場で非常勤をしていた小松は、もちろんなーんにも言っては来なかった。そして2018年には63歳で東大教授になったわけで、へえー割と威勢よく論陣を張るけれど大学での任用に関わりそうなことになると黙っているという処世術というわけね、と私はちょっと思った。
私は禁煙ファシズムと戦うのはやめにしたが、それはこういう「信用できない味方」が多すぎたからである。何だか小松がワクチン反対論を言い出しているというところから、ふとそんなことを思い出した。
(小谷野敦)