家柄自慢

 四方田犬彦の『母の母、その彼方に』は、母方の四方田家が箕面に豪邸を持っていたという話が、家柄自慢に見えなくもないが、父のほうはそのことにひけめを感じて母を虐待し、長い裁判の末に離婚し、四方田は父を憎んでいるらしい、という裏面があるからまだいい。
 箕面で四方田と同じ小学校に行っていた(重なってはいない)佐伯順子も、母方の兼田家は長州の人で、能楽師だった祖母の家には能舞台があったとかすごいことを書いて、人が嘘だろうと言った、などとぼやいていたが、それは嘘じゃないだろうが、戦前の中流家庭には能舞台くらいあった、と書いたらそれはもう母方家柄自慢になってしまう。これじゃあそのうち朝ドラにでもなりそうだ。文春ジブリ文庫千と千尋の神隠し』に佐伯が書いた文章では、母の実家で、母と同年輩の千尋のような幼い娘が女中として働いていたとかさらりと書いている。
 まあ事実なんだからしょうがないと言えば言えるが、家柄自慢のできる人とできない人とは、永遠に分かりあえないのかもしれない。しかしこの文章は、昔の女の子は労働していたのだ、バブル期に生きた自分らは怠けている、とかそういう話で、現在不況の中の若者は羽生結弦浅田真央のように折目正しいとか、どうも話が道徳の教科書みたいである。