カール・ポパーは、確か『推測と反駁』の中で、お前は科学というものを信奉しているのではないかと言われたらその通りだ、と書いていた。
私もそうだが、たとえば「学問か科学かなんてどうでもいいっ、私はフロイトやユングやオカルトが好きなのよっ」と言ったら、それはそれで一つの態度表明である。ただし、そういう人が大学教授であっていいのか、という議論はまた別個にある。
人はイデオロギーから自由であることはできないが、重要なのはそのことを自覚しているかどうかである。たとえば私は身分制を否定するから天皇制も否定する。したがって、天皇制を支持する人は身分制や、生まれによる差別を肯定している。だからそういう人が「私は身分制はあっていいと思っている」と言えば、それはまたちゃんとした態度表明であるが、現在の日本では、そのことを自覚できていない人がヒジョーに多い。右翼の論客と言われる人でも「私は身分制を支持する」と言ったのは聞いたことがない。
九条護憲論者にしても、「日本が滅びてもいい」と言えばそれは立派な態度表明である。ないし、シナ(彼らの言う中国)の属国になってもいい」と言うならそれもそう。だがそう言った人はあまり見たことがない。