私は中学生のころ、男女平等主義者だった。今でも実際はそうであるが、当時は、そういう意識が社会に乏しかった。それで、テレビドラマなど観ていると、普通に差別的なせりふが出てきて怒っていた。たとえば『中学生日記』で、教師が「女子は結婚して家庭に入るわけだが」なんて言っていたのである。
 高校生になる頃、俳優になろうかと思ったことが一瞬だけあって、その時、こういうセリフは言いたくないということがあったらどうするのだろうと考えた。そして、そのセリフがあとで否定されるならいいが、そのまま通ってしまう、つまりドラマの意図になってしまうなら、それは嫌だと考えた。 
 あとになって、俳優のインタビューなどを読むと、「こんなセリフは言えない」などと言うということが割とあることだ、と気づくことになる。
 そういえば中三の時に、ダッカのハイジャック事件があって、超法規的措置連合赤軍の囚人を解放したあと、西ドイツでハイジャックに対して突入救助したことがあった。当時の私は人命尊重の、日本の福田首相の措置をよしとする考えだったが、化学の教師が、西独の処置を「あれはすばらしい」と絶賛したので、授業中に激怒してぶつぶつ言っていたことがあった。  

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旺文社文庫『山の音』に、映画化の際の脚本家・水木洋子が一文を寄せていて、検閲を考慮しなければならなかったので、義父の嫁への感情をおさえて書いた、と書いていたが、これは1954年なので、占領軍の検閲ではないし、映倫とも思えない。とすると、原節子のイメージをめぐる映画会社内の「検閲」としか思えないのである。