松本清張に憧れなかった。

著書訂正というわけではないのだが、
『日本恋愛思想史』などで用いた、浜田啓介「読本における恋愛譚(ロマンス)の構造」は、同氏著『近世文学・伝達と様式に関する私見』(京大学術出版会、2010)に収められていた。

近世文学・伝達と様式に関する私見

近世文学・伝達と様式に関する私見

                                                                  • -

つい一年ほど前から、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』と『グリーン家殺人事件』を読んで、くだらんなあと思っていたら、中川右介さんの新著『不滅の名作ミステリへの招待』が送られてきて、みたらこの二作とも入っていた。
 中川さんにそのことを言ったら、小林秀雄江戸川乱歩との対談でヴァン・ダインはひどいと言っている、というので、乱歩全集22巻に入っているそれを読んだ。1957年のもので、乱歩63歳、小林55歳である。小林は『アクロイド殺人事件』もひどいと言っているが、私は大学生のころこれを読んで、怒りのあまり八年近く推理小説を読まなくなった。
 もっとも、ひどいという理由はちょっと違っていて、小林と乱歩は、ヴァン・ダインは心理学などを用いるからと言うのだが、私はそうではなく、登場人物がチェーホフの芝居みたいに多くて、屋敷の見取り図とかが載っていて、次々と殺人が起きて、さあ犯人は、とか言われても、どうでもいいよと、白けてしまうのである。『刑事コロンボ』でも、「さらば提督」がそうで、犯人が分かった時、「へ、誰それ?」という感じだった。
 たとえば、俵万智さんの子供の父親が誰かとか、岸本葉子さんが北京でつきあっていたのは誰かとか、そういうことに比べたら、架空の物語の殺人犯が誰かなんて、味噌汁に入っている豆腐がいくつか、と言われているくらいどうでもいいのである。 
 『アクロイド』のほうは、こうである。創元推理文庫だから、中扉に「意外な犯人」とか書いてある。で、読んでいくと、意外な犯人といったら、ポワロでもない限り、こいつしかないではないか。今の私なら、飛ばして最後を見てすますのだが、当時は愚直に、実際はどうでもいいミスティフィケーションの部分を読んで、最後に怒ったというわけ。小林と乱歩は、発明だと言っているが、谷崎の「私」のほうが、早くてしかも短い。「ルパンの逮捕」もそうだ。『十人の小さな黒んぼ』つまり『そして誰もいなくなった』も、面白くない。童謡にあわせて殺されるというのがいいと乱歩は言っているが、つまらん。
 やっぱり『ロートレック荘事件』とかがいいなあ。
 そういえば、小林が、若いころポオの「メルツェルの将棋さし」を訳した話をして、電子頭脳に将棋がさせるはずがないと言っていたが、これははずれた。
 なおここで、クロフツの『樽』の間違いの話が出ている。創元推理文庫で読んだ時、ミスがあると大久保康雄の訳者あとがきにあったのだが、古沢仁という人が指摘したと乱歩が言っている。これがどこにあるのか分からなかったのだが、立教大学藤井淑禎先生門下の大衆文化研究センターの落合氏が調べてくれて、『雄鶏通信』1947年12月号の、編集後記のところに小さく出ているのを送ってくれた。

http://q.hatena.ne.jp/1239380794
 なおこの茫漠とした人生相談への回答の中に、突如、私が「若いころ松本清張に憧れた」とあるがこれは事実に非ず。下のコメント欄で訂正しておいた。