諏訪根自子と大賀小四郎

アルファベータから、萩谷由喜子さんの『諏訪根自子』をいただいた。私は昔萩谷さんの『幸田姉妹』(ショパン)を読んで感心したことがあったが、その後は別の著書を読むこともなく打ちすぎていた。
 諏訪根自子については、里見とんが『荊棘の冠』のモデルにしているので、深田祐介の『美貌なれ昭和』を読んだこともあったが、戦後の閲歴については詳しいことが分からなかった。ドイツ留学時代に知っていた大賀小四郎と結婚して大賀姓になったことは知っていたが、今度の本で、大賀が東大教養学部のドイツ語教授を1969年まで務め、西独公使に転じて、帰国後獨協大学教授になったことを知った。萩谷さんの本には「独文科教授」とあるのだが、これは間違いで、ただ私が持っている『駒場の50年』は、歴代教職員一覧が載っているのだが抜けが多く、特に戦後すぐ、一高から移ったような人はなぜか載っておらず、大賀も載っていなかったので、今回『全国大学職員録』で確認してきた。助教授から教授になったが、58歳で退職したため、名誉教授になっておらず、論文もあまりなかったのである。
 根自子は48歳で大賀と初婚にいたったのだが、大賀は再婚で、妻子があり、離婚するのに十年ほどもかかったということが、萩谷さんが参照した『週刊文春』の記事にあった(本文中で『週刊新潮』とあるのは間違いらしい)。ただ、萩谷さんは何か遠慮したのか、大賀に妻子があり離婚したことを書いていない。週刊誌に普通に書いてあることを、遠慮することもなかったろうと、これは残念であるし、またもう少し大賀の戦後の履歴を調べてほしかったとも思う。あと「すべからく」の誤用もあった。
 しかし諏訪根自子の美しい写真が拝めるし、いい本であろう。