私は2009年から名前の読みを「とん」にして、このたびもとに戻したのだが、今ごろ「とんだったのか」などとブログに書いている人がいる。その昔、荒俣宏が杉浦日向子と結婚して一年ほどで別れたころ、地方の大学教授が荒俣の話をして「なんだか最近きれいな漫画家と結婚したようですが」と言ったというのを、浅羽通明が『ニセ学生マニュアル』で、地方では一年遅れて情報が伝わるらしいと揶揄したのを思い出す。
ルドルフ・シュタイナーの『アカシヤ年代記より』というのを、私は『アカシアの大連』のアカシアだと思っていたら、アーカーシャというサンスクリット語で、「アカシックレコード」の語根だと分かった。
ところで『純と愛』は、本性が見える、だけだったのがいつしか心の声まで聞こえるようになって、オカルト朝ドラと化すのか、と思いつつ観ている。しかし遊川というのは達者な脚本家だ。