何ゆえに

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak3/1312011.htm
 ここに、
(石田保昭「インドで暮らす」に蝋山芳郎が書いた失礼きわまりない序文への嫌悪)
 とあったので、『インドで暮らす』(岩波新書、1963)を借りてきて読んだら、なるほどすごい。蝋山は石田の師でこの本を書くことを勧め、岩波へ紹介した人らしいが、石田君がインドで暮らすと聞いて大丈夫か、それだけの給料でやっていけるのかと心配し、きっと半年もするとへたばって帰ってくるよと人に話していたら三年もいた、とか。おそらく石田君はインドの暮らしについて何も知らずに飛び込んで行ってがんばったのだろうとか、この本を読むとインドが分かったように思うが、石田君はニューデリーにいただけだから、これでインドの全体像はわからないとか、石田君が帰国してすぐ書いた文章は、一握りのインドのインテリから判断してインド人を悪く言ったために、日本留学中だったムールティというインド人にこっぴどく批判されたとか、序文に書くことじゃないというような感じの文章なのである。見ると83年の22刷だから売れた本らしい。
 私は蝋山芳郎というのを、戦後一時期中央公論社の社長をした蝋山政道と混同したのだが、政道の弟のインド研究家らしい。間にもう一人山田勝次郎という人もいて、政道は東大卒、政治家、お茶の水女子大教授で、その娘が嶋中鵬二の妻だから、あの「風流無譚」事件でけがをした人である。
 しかしどういうわけか芳郎は一高中退で、大学教授にもなっていない。蝋山昌一という息子がいてこれも学者で数年前に死んだのだが、その際調べて、あまりに著作が少ないのでぎょっとしたことがある。何か芳郎というのは「クセのある」人物だったのであろうか。
 (小谷野敦