吉野万里雄くん

http://www.feecle.jp/blog/?b=rhinoball&d=20090125
 東大の表象の修士を修了して今は演劇活動をしているらしい吉野万里雄君というのがいて、彼は二つブログがあって、小さい方は友達向けらしいのだが、そこで吉野君が私の開塾のことを書いていて、「yuka」という人がコメントして「私のマイミクが懸想(?)されて小説に書かれた」と書いている。誰? yukaという人は30代前半のようなのだが、懸想されて小説に書かれた人はみな40代になっている。
 それにしても、人はなぜブログをやるのだろう。私はてっきり、自分の意見を表明したくてやっているのだと思っていたし、だからなるべく多くの人に見てもらいたがるものだと思っていたのだが、どうも身辺雑記を書いているだけの人もいるし、上記のように友達だけが見ているというようなものもある。それなら何も全世界へ向けて発信しなくても、閉鎖型にすればよいのである。

                                                                        • -

天地人』、いきなり天正元年から4年へとんだ。大人にとっては大した年数ではないが、主人公は数え14から17になっているから大きい。しかしこの年にも真田幸村は数え10歳であるから、当初幸村の妹と設定されていた長澤まさみは、兼続を信長の許へ連れて行った天正元年には数え7歳未満、つまり小学一年生とかいうことになるのだ。無茶な。なに、70歳の杉村春子が16歳の布引けいを演じたっていいが、6歳の女子は演じないだろう。

                                                                          • -

 岩波文庫の河野与一『新編学問の曲り角』をちょっと読んだ。博識で知られる(とされる)学者のエッセイ集だが、中に「源流に遡る−プラトニック・ラヴ考」というのが入っている。プラトニック・ラヴというのは日本ではよく使われるが、ドイツ語やフランス語ではあまり見たことがない、その流行の始めは17世紀英国だろうとして、シェイクスピア落胤ではないかとされた桂冠詩人ウィリアム・ダヴナントの話をする、そこまではいいのだが、ではプラトンにその思想はあるかと問うて、どうもないようだ、これは15世紀のマルシリオ・フィチーノが拵えたのだと言うが、プラトンパイドロス』でソクラテスは、少年に対する精神的愛を高らかに説いているのに、昭和4年発表という時節のせいか、河野はほとんどギリシアの「愛」が少年愛であったことを語らず、女性論ばかり展開している。本来少年愛について言われたことが男女間に適用されてしまったのだというのが正しい。
 こういうところは、本来もっと詳しい解説や注釈をつけて、現代において専門家ではない読者を誤らせないようにすべきである。あるいは『木下杢太郎全集』を編纂して太田正雄君のことを、とあるが、何も知らない読者は太田正雄が木下の本名であることに気付かないだろう。書いていないのだから。編者は原二郎、渡辺義雄とあるが、二人とも80を超えているからそんな面倒なことはできなかったというなら、若い人につけさせればよろしい。どうも最近の岩波文庫はこういうやっつけ仕事が多い気がする。

                                                                          • -

西東京市長選の告示を見て驚いた。保谷七緒美さんが立候補している。市議らしいが、この人は予備校でも東大でも同期だった人で、話したこともないが、予備校時代私が話したこともないのに好きだったHさんの友達であった。

                                                                          • -

『阪大比較文学』という雑誌が図書館にあったのでぱらぱら見たら、朴なんとかいう人の、安部公房についての論文があり、参考文献に「沼野充義『徹夜の魂』」ともろに誤植。サントリー学芸賞受賞の時も沼野さん、よく魂と間違われますと言っていたが「塊」である。