「リスぺス」の新訳

 私は阪大にいた頃から、『Aspects of Love』という英米短篇集を教科書にしていて、今でも猫猫塾で使っている。中にラディヤド・キプリングの「リスぺス」があって、これはいい。岩波文庫の『キプリング短篇集』に入っていないのが残念だが、あまり翻訳が出回ると教科書には使いにくくなる。
 これはインドで、両親をなくした少女が西洋人に育てられる物語だが、その冒頭近く、両親が飢饉に悩むところで、「when two bears spent a night in a poppy field」という、やや意味不明な文がある。「二頭の熊が罌粟畑で一夜を過ごした時」というのだが、なんで熊がいきなり出てくるのか分からない。「リスぺス」の邦訳は、大正時代に小山内薫のものがあるのだが、最近、高橋和久・橋本槇矩編『キプリング インド傑作選』に、芦川和也という人による翻訳が入った。それには、熊のところを、リスぺスの両親として訳出してあった。bearに「ならず者」という意味があるのでそうしたのだろうが、リスぺスの両親は、善良な山の民で、しかも生まれて間もないリスぺスをキリスト教会へ連れて行って洗礼を受けさせた人たちで、それを「ならず者」(芦川はそうは訳していないが)扱いする理由はない。いきなり熊二頭は変ではあるが、ヒマラヤにも熊はいるし、やはりこれは熊だろう。