つけたり

 竹西寛子の『管弦祭』を読んでいたら、「八月十五日は有紀子には八月六日のつけ足りでしかない」とあった。これは広島で原爆に遭った経験を描いたものである。しかしこの「つけ足り」は間違いで、「つけたり」ならいい。「つけ足し」のちょっとひねった表現だと思ったのだろうし、私も若いころはそう思っていたが、歌舞伎などで正題のほかに、この場面もつくという意味で「つけたり」つまり「つける」+「たり」という助動詞なのである。「義経千本桜、つけたり、狐六法」という感じか。「つけ足し」と「つけたり」は語構造が違うのである。