苫米地英人よどこへ行く

 苫米地英人が『洗脳原論』で登場した時は宮崎哲弥も絶賛したものだが、私は読まなかった。
 ところがそれから数年たつうちに、苫米地は大量の「あやしい本」を書く人になっていた。しかし、いくら題名やら出版点数の多さが怪しそうでも、中を見ないで何か言ってはいけないと、『「婚活」がなくなる日 結婚=幸せという洗脳』(主婦の友新書、2010)を図書館で借りてみたが、入手するまで半年くらいかかった。
 もちろん、私は婚活賛成であり、ネット婚活を勧めている。しかし「結婚=幸せという幻想」は、その通りである。幸せになる人もいるが、往々にして、結婚を望んでいる人は、そこに過剰な期待を抱いている。
 さて読み始めて、苫米地が、読者対象を女に限定していることに気付いた。主婦の友社新書だからかもしれないが、婚活をするのは女だけではなかろうにと思った。苫米地は、婚活をしている女は仕事に疲れているだけで、婚活というのは商業資本の戦略でしかない、という。
 回り道する書き方なので、ではどうしろというのかと見ていくと、どうやら苫米地は、自然発生的な恋愛による結婚なら幸せになれる、と考えているらしいのだ。そもそもそんな思想自体が、大正期ころ発生して昭和三十年代に一般化したものであることは常識であるが、苫米地自身が、その近代思想の洗脳から抜けていないというわけだ。
 そして、そういう恋愛に出くわさないなら、結婚しなくていい、と言っている、と見て差し支えなかろう。その一方で、婚前セックスはいけないというのは、儒教思想にしばられている、などと言うのだが、別に儒教なんかないヴィクトリア朝とか西洋でもそういう考え方はあったし、中産階級で一般化されたものである。この人はどうやら歴史とか社会についてほとんど知識がないらしい。
 「少子化でも問題はない」とも言っている。ところが苫米地は、人口が少なくてもいい、と言うだけで、少子化問題が、少子高齢化社会問題であることも理解していない。
 苫米地は専業主婦批判をしているようだが、これはフェミニストもよくやる。ただそれが支離滅裂なさまざまな主張とごちゃまぜになっているし、だいたいフェミニストの専業主婦批判にしたって、一流か1.5流大学を出たような女のことしか考えていないのだが、これは苫米地も同じ。第一それを「主婦の友社」から出すって何なのだ。苫米地は、遺伝も否定しているがこれは間違い。英会話も否定しているが、後の方で、婚活をやめて高い目標を立てるというところで、「経済学や政治学の古典を原書で読むレベル」などと言っているが、原書読むなら外国語できなきゃダメだし、むしろそんなもの原書で読む意味がないし、このレベルの本を読む女は、普通に古典的な書物なんか読まない。
 まあしかし、この本に影響を受けて婚活をやめる女なんかいないだろうから、実害はないが、紙資源の無駄ではある。