経済学不信

 昨年まで四年くらい、今ごろの時期になると、朝日ニュースターの討論番組に出ていた。しかしもう耐えられないので今年は勘弁してもらった。何しろ五時間近く、喫煙できないで座っている。休憩はあるが一回、CM時間に喫煙に出るがすぐにまた始まる。で、へとへとになって帰ろうとするとタクシーが用意されるのだがこれも禁煙だから、断って電車で帰ってくる。たまるか。で、内容がいつも経済ばなしである。そして、この社会問題をどうするか、ということになると、経済の人たちが、かくかくの予算を組めば良いとあたかも政府の予算委員会のようになる。
 かねて私は、経済学は役に立たないと言っている。ただしこれは、経済学のことをよく知らないで言っているので、誰かに十分に説得されたらいつでも撤回する。若田部昌澄という人が、私のこの言を引いて『経済学者たちの闘い』を著したから買ってみたが、どうもこれにも説得はされなかった。
 それでも時々、罪悪感にかられるのか、宇沢弘文岩波現代文庫ケインズ「一般理論」を読む』というのを読み始めてすぐ嫌になった。ケインズの『一般理論』は昔読みかけて何が何だか分からないのですぐ放り出した。宇沢のこれは、セミナーの記録で、分かりやすくやろうと思っていたらやっぱり難しくなってしまったと書いてあり、というのも中年の熱心な受講者がいたのでその人に合わせていたからだとまえがきにあって、そんなことで本一冊を難しくされては困る。
 それで本文へ進むと、『一般理論』はめちゃくちゃだとか、前後矛盾しているとかさんざん書いてあって、ケインズ以前の古典派経済学では失業者はいないことになっていたとある。もしそのめちゃくちゃな『一般理論』の功績が、失業者がいることを明らかにしたのであれば、何も苦労して読むほどのことはない。
 それでも何だかまだ罪悪感があって、伊東光晴岩波新書ケインズ』を読んでみた。とにかくいらいらしながら『一般理論』の解説を読み終えた後で、利子率の低下は投資を増やすという理論は成り立たないことがのちに分かったと書いてあるから、まるで詐欺に遭ったような気分である。
 私が経済学に関して腑に落ちた唯一の本は、小室直樹の『数学嫌いな人のための数学』である。ここで小室は、経済学者というのは、あらゆる人が、経済人であると想定するが、実際にはそうでない人もいる、と書いている。
 なんでいらいらしたかといえばそれであって、経済学者の本を読むと、あらゆる人が、利子率の将来を予測して行動するみたいに書いてある。もっとも、経済人でない人間の数というのが、無視できるほど小さいということが証明されたのであればよいが、別にそんなことは聞いたことがない。
 だいたい「子供手当」にしたって、それが少子化対策になると思っているとしたら笑止千万である。例の討論番組では、夫婦共稼ぎなら出産率が上がるとか、未だにそんなことを言う人がいたり(坂東真理子)、人口300万のスウェーデンで何々ができたから日本でもできると和田秀樹が無茶を言ったり、実に不思議なのである。どうも見るところ、人間は経済学の理論通りには動かないのだということは、経済学の世界では「それを言っちゃあおしまい」なところがあるようで、だから信用しないのである。

id
API そういう経済学者が断定的に書いた本じゃなくて大学の経済学部で使われてる教科書的な本を読んで自分で考えれるようになろうよ。

・「考えれる」というら抜きは珍しい。

                                                                              • -

上村敏彦『花街・色街・艶な街』は、東京の遊廓跡地の歴史をつづったものだが、どうも遊廓毎に「関東大震災では」「敗戦後」と同じような記述が並んでいるのがちと奇妙。
 参考文献もちゃんとしているのだが、新宿遊廓を扱ったところで、その投げ込み寺に触れて、『新宿 女たちの十字路』から、明治元年から43年までの過去帳に記載された娼妓の、年齢があるものでは90名、うち85%が19歳から24歳で、いかに苛酷なつとめだったかが偲ばれると書いているのだが、年季が明けたら投げ込み寺には葬られないわけで…。