『中島敦殺人事件』補遺

 同志社大院生・杉岡歩美さんから、『日本文学』12月号に載った「研究ノート・中島敦<南洋行>と大久保康雄『妙齢』」の抜き刷りを送ってきてくれた。例の、中島敦の書簡に出てくる大久保の作品に関するもので、2009年7月の日文協大会(於静岡大学)で発表したもので、川村湊がコメントしたとあり、「付記」として『中島敦殺人事件』のことも書いてある。大久保が南洋へ行った時期については、三笠書房が出していた『作品ヂヤーナル』に竹内道之助が書いた記事により、昭和14年4月26日横浜を出港、7月7日帰国と分かり、これに神保町のオタどん指摘
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20100323
 を付け加えると、「マリヤナ、カロリン、マーシヤル等の群島を巡視、六月十八日ヤルート島へ着いた」ということが分かる。
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20100327 
 また、『文庫』17年7月に「月と証券」、11月に「海松」、18年11月に「憶へてゐるがかなしかりけり」が載ったことが記してある。「月と証券」は、16年だったというメモがあるのだがこれは何に拠ったのだったか。(『現代出版文化人総覧昭和十八年版』(復刻:『出版文化人名辞典第1巻』)所収の「現代執筆家一覧」を見たもののようだ)
 あとノードホフ&ホールの『台風』は、昭和16年以前、13年12月に刊行されたものらしい。実は杉岡さんが、16年のものを「書籍として刊行された」とあるので戸惑ったのだが、13年のほうも「昭和13・12・27、三笠書房」とあるから書籍なのだろう。
 私は09年7月頃、比較文学会の東京大会でこれを発表しようとして、手違いでできなかったのであるが、代わって発表してくれる人があり、小説でモデルにした川村湊先生も登場していたというのが楽しい。

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前に買っておいたマダム路子『体験的愛人論』を読む。山野愛子の息子と結婚した著者が、四人の子供を産んだ後で作家Sと恋愛関係になって離婚し、作家との12年の関係ののち別れるまでを描いたもの。評論めいた部分が余計だが面白い。ところでこの作家は明らかに笹沢左保だが、その後旧姓の品川路子で『婦人公論』に連載した『愛縛』でも、いっぺんぐれた末っ子のことを描いた『息子よ』でも、笹沢の名は出てこない。笹沢と初めて会ったのは『婦人公論』だかでの対談に出向く時に、もう恋愛する気満々なのがおかしい。