もうしばらく、演劇というものに行っていない。禁煙措置が不快だからである。しかし、「将軍江戸を去る」を観たことがなかったので国立劇場へ行って、やはり激怒した。
 国立へ行ったのは五年前で、その時は喫煙者は外へ追い出されて、劇場前の床几で吸っていた。それだけでも嫌なのに、今ではその床几にすら「禁煙」マークがついていて、喫煙者ははしっこのほうに小さくなって吸っている。そういえばもうそうなっていると聞いていたようにも思うが、こんなのは憲法違反である。おとなしく片隅で吸っている連中も嫌である。だいたい何のために劇場外に床几があるのか。煙が嫌なやつは中のロビーにいればいいではないか。こんなのは「いじめ」である。もちろん俺はその床几で堂々と吸って、嫌がらせに吸殻をその辺へ捨ててきた。国立大劇場程度の大きさなら、中に喫煙室を作ってしかるべきである。
 彩の国さいたまでも、喫煙者を外のしかも遠いところまで行かせていた。そういう劇場には俺は行かない。だから演劇にも行かない。

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http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-79192/1.htm
 俺の行ってた高校では、教師がいじめに加わっていたもんなー。体育の大沢、お前だ!

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片桐一男の「事件の発端となったシーボルトの手紙」(『洋学史研究』2005)を読む。オランダ通詞中山作三郎の控えから、シーボルト間宮林蔵に宛てた手紙は、もう一通別の人物にも当てられていて、その相手は鷹見泉石ではないかと推理するもの。
 しかし二人に宛てられたとする根拠は「東都     江       江」と書いてあるからというものだが、ほぼ同文の、しかも、蝦夷地で採集した植物標本のことまで書いてあって、しかも明らかに一通は林蔵宛であるものを、これだけで他に宛て人がいたとするのは牽強付会であろう。仮に「江」二つが二人を意味するとしても、高橋景保を通して林蔵へ、という意味ととるのが自然であろう。
 (小谷野敦)