梶輝行の論文について

 ウィキペディアの「シーボルト事件」の項を見ていたら、梶輝行という人の論文のことが書いてあった。1996年に長崎のシーボルト記念館の紀要に出たものである。シーボルト事件は、帰国しようとしていたシーボルトが乗るべきコルネリウス・ハウトマン号が嵐のため座礁し、幕吏が調べたら、シーボルトの荷物から、ご禁制品である葵の紋服と、間宮林蔵らの最新の日本地図が見つかり、高橋景保が捕縛されたという経緯だが、梶は、ハウトマン号にはシーボルトの荷物はまだ載せられていなかったとしたという。
 『歴史読本』2010年11月号に梶の「検証シーボルト事件 通説を覆す」が載っていたので確認した。ああそうですかという程度で、さほどの大発見ではない。ところが梶は、シーボルトのスパイの汚名を晴らしたいらしく、林蔵が、シーボルトから景保をへて渡った手紙を幕府に届け出たのを、林蔵と景保に確執があったからだとしている。林蔵は、外国人と無断でやりとりしてはいけないという規定に従って届けただけ、というのが通説だが、梶はそれには触れていない。
 梶は2010年には神奈川県教育委員会にいて、今は高校の先生らしいが、単著もないので年齢は分からないが、私と同じか少し下であろうか。まあシーボルト記念館にいた人だから、「スパイの汚名を晴らしたい」という気持ちなのだろうが、梶の「発見」は、シーボルトがスパイであったかどうかとは何の関係もなく、影響も与えないのである。言っておけば、鎖国当時日本に来た外国人は、ケンプフェルであれツュンベリーであれ、ある程度はスパイなのであって、ただシーボルトの場合、ドイツ人であること、ドイツおよびロシヤから日本探査の密命を受けたらしいこと、最新の地図を持ち帰ろうとしたことによって特にスパイ扱いされているので、それは単なる事実でしかない。 
小谷野敦