国会図書館事件

 いや今度は図書館員と争ったのではない。カードを検索装置のところに置き忘れたのである。もっとも、置き忘れたと最初から分かったわけではなく、戻って探しに行ったら、私が使っていた椅子にはもう人がいたので、ああここではない、と思って受付で、届出はないですかと訊いたら、なく、あちら(新館入り口)で訊いてみてください、と言われた。
 そちらへ向う途中、藤田敏八のような顔をしたおっさんが、私の左手1.5mほどのところを並んで歩きながら「カード亡くしたら閉館まで出られませんよ。他人が使ったかもしれないとか言って。閉館は九時…」とぼそぼそと言った。まさかと思いつつ受付へ行ったら、やはりないので、困って戻り、ふと、先ほど私が坐っていたところに指してあるカードを見て、ありゃ、と思い、近寄ってよく見ると、まさに私のカードである。男が坐ってせっせと検索している。
 私はカードをとりあげ、「ちょっと、これ私のカードでしょう」と言いながら見ると、机の左手にはやつ自身の黄色のカードが置いてあった。25から32くらいか。「やっばー」と呟きながら立ち上がった。むろん私は、すぐ後ろにある受付までやつを連れて行った。やつは「申し訳ありません!」と言って頭を下げる。真っ青、と言いたいところだが、色白なのでピンク色、少し涙目になっている。受付の若い女性二人は、カード二つを確認した。私のカードは、その時フル、つまり書籍三冊、雑誌三冊を予約していたからもう使えなかったわけだが、やつは「誰もいないと思って」とわけの分からないことを言う。受付嬢は「いま係の者が参りますから」と言い、私は「誰もいないと思ったってどういうこと。君、自分のカードがあるでしょ。それは何のつもりだったの」と畳みかけ、やつはくり返し「申し訳ありませんでした!」と頭を下げる。
 係の者というのはおばさんで、机のほうへ行き、私は「利用停止とかにしてください」と言ったのだが、やつがくり返し「申し訳ありませんでした!」と大声で言うものだから、「うるせえなあ」などと言っている人もおり「君、もう少し小声で謝りなさい」と言ったが、やつは、「ここへ来たの初めて?」という私の問いに、得たりや応とばかり「そうです!」と言い、おばさんは「規定はないんですよ」と言いつつ、「使い方が分からなかったんですよね」とやつに助け舟を出し、やつ「そうです!」と強調する。野郎、「やっばー」と言ったのを俺は聞いたぞ。
 だいたい、私が気付いたからいいようなもので、前の人が忘れていって困っているとか思わないのだな。コピーカードとか使われたことはあるが、これはまるでそれとは違う。仕方ないからそれで放免したが、名前はちゃんと聞いた。よりによって私のカードでそんなことをするなぞ、不運なやつとも言える。普通なら取り上げて終りかもしれん。トラウマでもう国会図書館へ来られないか、図々しく来るか。

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高塚省吾画集 美しうるわし

高塚省吾画集 美しうるわし

 私の好きな画家・高塚省吾の、没後画集『美しうるわし』が刊行されます。『あさきゆめみし』『いろはにほえど』に続けて、あ・い・うの順で題名をつけたそうです。巻頭エッセイは私が書いています。

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http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20090218/1234885681
 宮崎先生からお返事があった。私は、吉田健一がそれほど凄いとは思っていない。アマゾンで『酒宴・金沢』にレビューを書いておいた。
 吉田に限らず、「ヨーロッパ人」と日本人を対比させるような「比較文化論」は、1970年代に流行したが、今ではそれらはみな恣意的で、学問としてはダメだということになっている。ヨーロッパ人といったって、長い歴史があり、さまざまな国があり、階層がある。
 永遠とか魂とかいうことは、日本の恋にもあった。それはたとえば平安朝の和歌を見れば明らかであろう。「魂ぎる」「暗きより暗きに」「とわ」といった言葉は恋にまつわってしばしば登場する。徳川時代ですら、心中もの浄瑠璃では、後世で蓮の台で一緒になろう、と恋人たちは言う。それが徳川後期になると失われるというのが私の説である(『<男の恋>の文学史』)。
 岡田氏の本は読んでいないが、宮崎先生には張競さんの『情の文化史』や、これは図書館で借りてでいいが、川合康三『中国のアルバ』をお勧めしたい。なお、言語が文化を規定するという言語相対説は、チョムスキー革命以後、否定されつつある。そのことはたとえば『オオカミ少女はいなかった』や、ピンカー『言語を生み出す本能』などを読むと分かるだろう。

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おや藤本君、やっぱりメールの全文公開は具合が悪いのかな? 君が待ち望んでいた「公開討論」が今まさに始まろうとしているんだよ。裁判予告されているから討論はしない? まさか、そんな軟弱な覚悟で騒いでいたわけじゃないでしょう。それでは、私の方で公開しよう。始めのうちは君の言っているのとさして違わないので、最後のほう二通だけ。君が省いているあたりだ。

9月17日
Re: そろそろ腹を括って討論を始めませんか

藤本さま
 既に討論になっているではありませんか。
ですから、あなたの住所を教えてください。
あなたは私の質問に答えていませんね。
 「思いつき」とか「仮説」とかいう語は、あなたのブログにも書いてありました。さて、交絡因子という語の意味をあなたはご存知ですか? 
 あらゆるテーゼは仮説であります。それに対して論駁するには、
「低所得・低学歴層」問題について、それを交絡因子として排除した研究が、
「ある」「ない」「知らない」
 このどれかであなたが答えるべきです。「ある」なら提示すればいいのだし、「ない」なら、「信頼に値する受動喫煙の害を肯定する研究はない」ことになり、「知らない」なら、禁煙学会、愛知県がんセンター、厚生労働省などに問い合わせればいいでしょう。ただし、厚生労働省に関しては、階層をめぐる研究はしないということがよく知られているので、恐らく答えないでしょう。正々堂々と議論をしてほしいのは、こうした、社会的影響力のある団体、および新聞です。先日の、「日本学術会議」に関する誤報についても、私は読売新聞宛、この記事のネット上の提供に訂正をつけるようメールを出しましたが、返事はありません。このように、禁煙ファシズム勢力はありとあらゆる卑怯なやり方をしており、あなたにこれがファシズムだと分からないとすれば、いったい哲学科で何を学んだのか、と疑問に思います。
 もう一つ、自動車の件は別に論じると言っていましたが、それは現に行われているのでしょうか。私は、むやみと自動車を走らせる「ドライブ」のような行為は悪徳であると、新聞などで喧伝されたのを見たことがありません。フランス革命の際「平等」が理念として掲げられたけれど、それは白人の男の平等、またブルジョワと貴族のそれでしかなく、経済的平等の理念はバブーフが抱いて潰され、のち社会主義となり、非白人、女性の平等にいたっては19世紀後半、ないし20世紀になって初めて議論され、実現されるようになりました。同じように、自動車については百年後、二百年後にやるというのでは困ることは言うまでもありません。
 喫煙や受動喫煙による死者数を出せという質問ですが、前に言ったとおり、そのような数字を出すのは不可能です。なぜなら、「交通事故による死者数」「がんによる死者数」なら出ますが、喫煙による死者数というのは、何らかの疾病で死んだ人を、原因はタバコだと決め付けて、厚生労働省やWHOが出しているものです(私が信じていないというのに、なぜあなたは厚生労働省やらWHOの発表が正しいと信じるのですか?)。しかし疾病の原因などというのは、さまざまです。本来ならば、ある疾病で人が死んだ時、その疾病を引き起こした原因のうち何%がタバコによる、と計算できれば、そのパーセンテージをかければいいだけです。しかしそのパーセンテージなど正確には出ません。
 それどころか、人間は必ず死ぬのですから、事故とか、まあ老衰とかを除けば、誰でも何かの病気で死ぬわけです。さて日本の平均寿命はご存知の通り、70,80代まで来ていますね。いったいあなたは、何を憂えているのでしょうか。
 それから、ミクシィを見たら、kdxという人が見事にあなたを論破しています。私を突ついても、kdx氏が言う以上のことはあまり出てきませんよ。ですから、あなたとの議論は、もう終っています。
 いったいあなたは何が目的なのでしょう? 社会は激しい勢いで禁煙化が進んでいるというのに、これ以上何がしたいというのでしょう。あなたの目的は、単なる売名行為だと言われた、と前のメールで書きましたが、これには答えていませんね。
 もし議論するなら、それこそ厚生労働省の担当者とか、WHO関係の日本人とか、作田学とか、そういう人としなければ意味がありません。
 宮崎氏やkdx氏が問うている、多くの人間がヒステリックにタバコの害を言い募る現状を私は「禁煙ファシズム」と呼び、禁煙学会などを、生に関する哲学がない、と言っています。その点については、あなたは全然答えられていないですね。
 要するにもう、あなたの負けです。
 あなたを負かせばいいと言われますが、ではたとえ話を申しましょう。既にこれまでに私はあなたを論破しています。あなたは立ち上がりざまはたき込まれているのですよ。なのにあなたは負けを認めず、今のは立ちあいが乱れたから成立していない、俺は「待った」と言った、と言い続けている。それだけです。いわば「お前は既に死んでいる」状態なのですよ、あなたは。
 あ、昨年11月のサンケイ新聞の記事については、なぜ私に取材もせずに書くのか、と抗議したら、電話で謝罪してきました。

 小谷野敦


9月24日
藤本さま
 お返事、待っていましたよ。ずいぶん、長いメールですね。
まず最初に言っておきますが、私はタバコが健康に害でないなどとは一言も言っていませんよ。単にWHOや厚生労働省、そして新聞などマスコミが、タバコだけをいじめていると言っているのです。その点で、あなたが、自動車は別個に論じるなどと言っているのは詭弁で、ではなぜ、他人に有害である自動車のむやみな運転であるドライブはやめましょう、というキャンペーンがないのか。
 あなたが挙げた交絡因子の件は、何やら先ほど川端裕人氏のところで教えてもらったものと同じですが、まあいいでしょう。ところが、educationといっても、この種のものは、高卒、大卒程度でしか区別していないわけですし、私のこれまでの経験では、日本国内で、一流大学卒と三流大学卒では違うわけです。ですから、その程度の区分ではさしたる補正になっていません。
 ところであなたは、WHOやその他の国際的機関が認めているからチャンピオンだとおっしゃいますが、いたく権威主義的ですね。たとえばノーベル賞トルストイがとらなかったのは、なぜですか? あなたは、ノーベル賞をとった文学者は偉大だが、そうでない文学者は二流だというのですか? ウィンストン・チャーチルが文学者として偉大だと言いますか?
 私は逃げてもごまかしてもいませんよ。たとえばあなたは、自動車の害についてどんどん発言しろと言っています。しかし、新聞は私にも誰にも、「ドライブは悪徳だ」などという文章を書かせないではありませんか。それをファシズムだと私は言っているのですよ。
 それに、『禁煙ファシズムと戦う』の時から言っていますが、たとえば職場がタバコの煙で白く曇っているとか、そういう状況を改善するというのなら、「分煙」でいいのですよ。それを、建物内全面禁煙とか、新幹線全面禁煙とか、そういうことにするのがおかしいと言っているのです。
 さらに、日本人の平均寿命がこんなに高くなっているのに、何を憂えているのかと、これは訊きましたがね。私はあなたの個人的な動機を訊いているのです。ところであなたはブログで、私がニコチン中毒だからこのようなことを言うのだとか書いていますが、斎藤貴男宮崎哲弥非喫煙者ですから、このような非難は当たりません。削除してください。
 ですから、私は最初から、話はかみ合わないだろうと言っているではありませんか。あなたがkdx氏の議論に賛同であれば、別に言うことはありません。私が贋の情報発信をしているというのは、さて、具体的に何を指しているのですか?
 
 小谷野敦