『新明解国語辞典』の「恋愛」の項に、「出来るなら合体したい」という気持ちと書いてあるのは有名だが、佐々木健一『辞書になった男』を見たら、これに対して「プラトニック・ラブ」は恋愛じゃないのか」と言った人が出てきた。
これは以前から疑問なのだが、「プラトニック・ラブ」というのはもともとマルシリオ・フィチーノがプラトンの「饗宴」を翻訳注釈したところから出たもので、プラトンは少年愛のことを言っているのに、男女間のものに誤解されてできた表現だ。
それはいいとして、恋をしたら最終的には合体したいと思うものではないだろうか。まず結婚したいと思うなら合体するわけだし、人妻なので合体できないということがあっても、「出来るなら合体したい」はあるわけだ。
「恋愛輸入品説」によると、肉体慾を離れた清浄な恋愛観が輸入されたというのだが、だからといって、最後までセックスしない、などと心に決めた恋愛があったのだろうか。ジッドの『狭き門』などは、それで若い女に受けたというのだが、まあセックスしない恋愛を「まあすてき」と思う女子がいたとして、好きな男に迫られて、生涯セックスはしない、などという女子がいただろうか。岸田秀とこの件で論争した時、岸田が、自分の友人で、清浄な恋愛だからセックスはしない、と悩んで自殺したのがいる、と言っていたが、それは極端なケースではないか。