予備校時代の恋

 保谷七緒美さんの友達だった人は、私が大学へ入った年に最初の著書を出した林真理子に似た名前だった。予備校で見かけて、何しろ男子校を出て、三年ぶりに女子のいる世界へ出たものだから、その美貌に、口を利いたこともないのに一目惚れ、しかし授業中ふと見ると壁に彼女の名前が書いてあったりしたから、ファンは多かったようだ。
 確か年末ころになって、私はそのことをぺらぺら喋り、Kという奴が当人に話しに行き、私の友人は、ひでえ、あいつ小谷野を陥れようとしている、と言っていたが、Kは私のところへ来て彼女の電話番号を渡し、連絡するにしても受験が終ってからにしてくれ、という伝言を伝えた。しかし当時の私にそんな度胸があるはずもない。彼女と親しくしていた背の高い男がいて、数日後、私が誰かと話していると、そいつとは知り合いらしいその男が来て、「おう××、お前おもしろい奴と知り合いだな」と言いながら、私のほうを見て目を合わせようとしたから、懸命に目をそらしたことがある。私と友人は、美しい彼女といつも一緒にいる保谷七緒美を、侍女のようだからといって「ジージョ」などと呼んでいた。
 しかし彼女は東大に落ち、早稲田へ行った。保谷七緒美は受かった。私は同級生の都築さんに、そんなバカなことがあったことを話したりしていた。さてそれから一年たち、下の学年のオリエンテーションをすることになって、私は名簿を見て、その彼女がいるのでたまげた。どうしても東大へ行きたくて受け直したらしい。オリターといわれる要員は、健康診断が行われる日に、安田講堂の裏手で待ち構えて、下の学年の子らに合宿の案内を配るのだが、待っていると果して彼女が出てきた。説明はほかの者がしたが、もちろん、彼女は私の顔を見て驚いていた。が、私は何も言えなかった。
 合宿の時も、学生らがいる座敷の入り口に立って中を見ている彼女の真後ろに立ったこともあるが、声は掛けられなかった。ところが新学期が始まってほどなくすると、同クラスでのちに英文科へ一緒に進学するNが、彼女と親しくしていた。Nは都築さんとも親しく、何だか最終的に都築さんをとられたような気がしたものだが、別段彼女らとどうにかなったわけではなく、数年後には京都で開かれたNの結婚披露宴に行ったものだが、N夫人は美人で、学習院卒、民俗学サークルで佐伯順子さんの後輩だったという。佐伯さんに話したら驚いていた。
 林真理子に似た名前の彼女は、美術史を専攻して、今では結婚して姓が変わっている。都築さんも姓が変わっている。彼女がどこにいるかは分かっているが、別に何もしない。都築さんは消息不明である。
 もうあまりに私自身がバカすぎて、この当時のことは小説にもできない。

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    • 僕が栗原氏の著作に「不満」をもたらしたのも

「もらした」でしょうか、黒古先生…。