ル=クレジオの思い出

 J・M・G・ル=クレジオがノーベル賞を受賞した。フランスからはクロード・シモン以来なので23年ぶりだ。
 私は大学一年の時に、当時好きだった同じクラスのTさんと一緒に第三外国語のフランス語をとっていた。クラスからは彼女と二人きりで、けっこう嬉しかったはずだが・・・。先生は確かまだ非常勤の竹内信夫先生で、その年37歳だったが、翌年から東大助教授になった。一学期はもちろん文法で、二学期になるとル=クレジオの「ロンド」を読まされた。これは難儀だったが、1月に中央公論社の『海』2月号が、ル=クレジオの作品の翻訳を載せた。当時『海』は塙嘉彦編集長の下斬新な誌面を作っており、最晩年の里見紝の作品もここに載っており、毎月海外の新しい作家の翻訳を載せていて、村上春樹訳のレイモンド・カーヴァー特集もあった。
 私はさっそくそれを買って、豊崎光一訳の「ロンド」を通読したが、あまり面白くなかった。それでもその『海』をTさんに貸して、Tさんはけっこう面白いと言っていた。Tさんは今の妻と同じ高校の出身である。さて、今度『海』を返すと言っていて、スウェーデン語の授業に出ていた時、横にいる彼女が「海忘れちゃった」と囁いたのを、私は『海』のことなど忘れていたから、何を言っているのか、しばらく分からなかった。
 その『海』もいつか捨ててしまい、私はそれ以後、ル=クレジオは読むことがなかった。その頃ル=クレジオは42歳で、今の私より若かったのだ。
 Tさんとは留学前に一度会ったきりで、その後結婚して、今は消息不明だ。竹内先生は大学院へ入ってたびたび顔を合わせることになったが、60歳できっぱり東大を辞め、どこにも再就職せず、郷里の香川に帰って静かな研究生活を送っているらしい。