奥野正男『神々の汚れた手』(梓出版、2004)は、東北の遺跡捏造事件で悪いのは藤村新一一人ではない、と周囲の学者連や文化庁を批判したもので、毎日出版文化賞を受賞している。そのあとがきに、こうある。「だからこの本は、去年から年金生活に入った私の乏しい私財を投じて出版した。事件の真相を少しでも広げる力を後の世に残したいという思いからである」。
 ハンセン氏病と国家の健康管理を問題にし続けてきた藤野豊は、近著『ハンセン病 反省なき国家』(かもがわ出版、2008)のあとがきで、勤務先の富山国際大学が、就職指導中心の大学に再編成するので、2011年で解雇する旨通告されたと書き、「就職指導中心の教育には不要と判断されたことは、研究者としてはむしろ名誉かもしれません。(略)解雇の日まで研究に精進します。また、解雇後は研究のペースは大幅に遅くなるでしょうが、研究をやめません。(略)解雇のカウントダウンが始まっている夫を責めることもなく、わたくしの研究を見守っていてくれる肚の据わった妻にも感謝して、筆を擱くことにします」と結ばれている。
 私はこの二人について、全面的に尊敬するわけではない。奥野はこれまで、邪馬台国関係の「研究」をしてきたが、邪馬台国論議などというのは、既に学問ではなくなっている。また藤野については、売買春に関して批判したこともあるし、国家による健康管理を問題にするなら、禁煙ファシズムに対しても一言あってしかるべし、と思っている。
 しかし、わざわざ自分の著書を、実際は増補版やらがあるので19冊なのを、「十冊以上」と言われたことで「二十冊以上」と言い、「自費出版は一冊もありません」などと言う黒古先生とは、何という志の違いであろうか。「このような研究は売れないが、どうしても出したいので自費出版で出した」という言が実に立派な学者を思わせるのに対し、自費出版などしていない、俺の本は商業ベースに乗るのだ、などと揚言する「似非左翼」学者の空疎さには、驚くほかない。このような人に、天皇の茶会に出た井上ひさしを批判することなど期待できまい。
http://blog.goo.ne.jp/kuroko503/e/ff11a07ece66a9567baa65dc57465773
 これは紛れもなく「茶会」の後の文章だ。黒古先生のオポチュニストぶりが遺憾なく発揮されている。武田泰淳木下順二は藝術院会員に推されても辞退し、唐十郎紫綬褒章を断った。加藤周一も、国家的褒賞は受けていない。こういう人たちを、私は尊敬する。

 まあそれはそれとして、私もいつの日か、どうしても出したいけれど出してもらえない本を、自費出版で出したいものだと思っている。それが学者の志というものである。
 (小谷野敦