村上春樹になりたい(創作)(2)

 もちろん、村上春樹くらい売れる作家に、今からなることは不可能である。だが、私がまず考えたのは、作品を英訳することである。そこで、日本文学を外国語訳している人に、それとなく、自分の作品も翻訳してほしいアピールをしてきた。
 以前、島田雅彦やムルハーン千栄子さんが、日本文学の英訳について作品を推薦していたが、今ではなくなってしまった。その際、川口松太郎の『しぐれ茶屋おりく』がオーストラリアにいたロイヤル・タイラーによって英訳されたが、あれは当該作品が第一回吉川英治文学賞をとったせいだろう。かくのごとく、日本文学の海外への翻訳は受賞に左右されることが多い。しかし残念ながら私の小説で文学賞をとったものはないから、不利である。
 学問の世界では、自著を外国語に翻訳する際に支援金が出る制度がある。だがそれは、翻訳者と出版社が決まっていて、審査に通った場合だから、かなり特殊な世界の話になる。もし出版社が決まっていて、支援金が出るのが条件だと、通らないと出ないことになるのか、金が出なくても出してくれる出版社があるのか、そういうことは皆目分からないと言っても過言ではない。ましてや、小説の翻訳を支援してくれるところなどないし、それはつまり「売れない」ということで、売れない小説をいくら翻訳しても、村上春樹にはなれない。だが、たとえ五十人でも、自分の小説を英語で読んでくれる英語人がいたら、嬉しいと思い、少し村上春樹っぽくなったと思うだろう、と私は思う。
 村上春樹の、自力で売れるようになったさまには、感服つかまつった、と言うほかない。純文学作品には、何々賞をとったから売れるとか、作者が別の世界で有名だから売れるということがあるが、村上春樹はほぼ自力なのである。
 作家には、藝術家としての面と職業人としての面がある。藝術家としては、売れなくても評価されるが、職業人としては、売れなければしょうがない。もちろん理想としては、一方で売れる通俗的な小説を書き、一方で売れない藝術的な作品を書けばいいわけだが、そう簡単にはいかない。戦後の日本でそういうことをうまくやったのは、井上靖だろう。井上の作品も海外でよく翻訳された。遠藤周作もそれに近いが、私にはキリスト教やオカルトに近づきすぎ、通俗作品が多すぎると思われる。
 藝術だから売れない、というのは、文学的事実の前に崩れ去ることがある。シェイクスピアセルバンテスは人気作家だったし、ドストエフスキーだってそうだ。ポオが生前不遇でも、没後は人気がある。
 インターネットの時代になって、多くの人が作品評を載せるようになった。私は当初、純文学や私小説のことも知らない素人が、通俗小説と混同してあれこれ言ってやがる、と思っていた。だが二十年たって、ああこれもあながち間違いではないんだな、と思うようになった。年月の積み重ねである。むろん、玄人が評価してやらなければならない作品もある。
 自費翻訳、という、聞いたこともない名称が思い浮かんだ。カネを出して英訳してもらうのだ。企業などがやることはあるが、それは自費翻訳とは言わない。自費出版というのがあるし、今は自分の小説を電子書籍で自分で出すこともできる。それなら、自費で英訳してもらえば、世界に届く。それはもちろん村上春樹になることではないが、村上春樹の足元にくらいは届くかもしれない。だが、ウェブサイトで見た英語翻訳のリストにあったのは、「特許明細書」「コンピューターマニュアル」「一般科学・工業技術」「金融」「医学・医療・薬学」などが並んでいて、「小説」はもとより、「文藝」もなかった。もっとも私たちは、こういう事態には慣れている。確定申告などでは「自営業」を選ぶし、新型コロナの際の給付金の申請の時も、職業欄をざっと見て、どれに当てはまるのか分からなかったので、電話して訊いたら「サービス業」になるとのことだったから、それを選んだ。
 税金といえば、十五年くらい前だろうか、税務署から、文筆家用の収入申告用紙が送られてきたことがあり、それには、月刊誌に一年連載して、それを単行本にするという前提でフォーマットが作られていたから、いったいそんなことができる作家が日本中で百人単位でしかいないことが分かっているのだろうか、と苦笑したこともある。

 それから数日して、月曜日になり、私はそのような英文翻訳をしている会社に電話して、小説は英訳してくれるのか、と訊いた。
 「小説・・・それはどのような内容でしょうか。ミステリーとか・・・」
 「いえ、私小説です」
 「はっ?!」
 どうやら、窓口の人は「私小説」を知らなかったらしく、それはかなり私の意気を阻喪させたが、事実を書いたもので、手記のようなものだということで理解を得られ、内部で検討する、ということになった。ほどなく電話がかかってきて、
 「一文字二十五円」
 で引き受けられるという回答だった。
 それなら、四百字詰め原稿用紙一枚で一万円になるから、二五〇枚なら二五〇万円となるわけだ。
 次に私は、英訳が出来上がった後の出版について考えた。もし英語で出版するなら、電子書籍で出せば基本的には無料でできる。だが、その分だけ買う人は少ない。ゼロに限りなく近いだろう。それに村上春樹は日本語でも電子書籍は出していない。ここは紙の本で、米国の書店に並べることによって「村上春樹になる」ことを目ざすべきだろう。それにはまたカネがかかる。
 私が出版しようとしている小説は、自分で「Too Late Adlescence」という題をつけることに決めていた。この当時はワープロで書いていたので、ワープロのテキストを変換するのに半日くらいかかり、ワード文書にして、英訳の会社へメール添付で送る一方、紙の本をアメリカなどで出してくれる自費出版会社を探しにかかったが、基本的に自費出版がデジタル化しているため、見つけるのがかえって難しくなっていた。
 自費出版の業界の裏面は、百田尚樹の『夢を売る男』にも書いてあるが、半生の思い出を書いた老人から、甘い言葉でそれまでの蓄えを奪い取るあまり上品とはいえない世界である。ウェブサイト上で見ても、それはおおむね、
 一、できればこちらが全額もって出版しましょう
 二、難しい場合は双方費用は折半で出版しましょう
 三、それが無理なら申し訳ありませんがあなたの全額もちで出版しましょう
 という三段階の誘い文句が書いてあり、うかつに見ると「一」の可能性がものすごくあるように見える。私の知人でも、元は文藝誌に小説を載せていた人で、だんだんそれが載せてもらえなくなり、千五百部刊行のうち五百部を自分で買い取るという条件で出してもらったりしているが、五百部買い取りというのは、一五〇〇円の定価としても七五万円だから、自費出版より少し少ないくらいな上、そもそも自宅に五百冊も置いておけないからほとんど寄贈することになるが、仮に四〇〇軒寄贈するとしても、寄贈先をひねり出すだけでも大変な上、その郵送料を払ったら、むしろ自費出版のほうがいいくらいになる。(つづく)