志摩半島渡鹿野島には、娼婦がいて「はしりかね」と呼ばれる。辺見じゅんに『海の娼婦はしりかね』(角川文庫)という本があるのだが、これはルポルタージュ集で、はしりかねについてはごく僅かしか書かれていない。ちゃんと書いてあるのは岩田凖一『志摩のはしりかね』である。昭和初年に上山草人が面白がってここに別宅を作ろうとしたことがある。
 さて、富山国際大学から解雇を言い渡された藤野豊は、新潟の敬和学園大学の教授になったようだ。その藤野が、渡鹿野の売春の実態を描いた『近現代日本買売春』を、2004年に解放出版社から刊行しようとしたら、取次に渡った時点で、志摩市の観光案内パンフレットを転載していたのに許可を得ていなかったのに気づき市に許可申請すると、内容を知った志摩市が、現在でも売春が行われている事実はないとして抗議、刊行停止を要請してきた。するうち、解放同盟の組坂繁之が頭越しに刊行停止を決めてしまった、という記事が『週刊金曜日』2009年3月20日号に載っている。執筆者の寺園敦史は、事実を隠蔽しようとする志摩市と、それを認めた解放同盟を批判している。
 それは確かにけしからん。しかしここに不思議なのは、もう7年も前の話で、なんで藤野はそれを別の出版社から刊行しなかったのかということだ。もしどの出版社も、そんなやばいものは出せないというので出してくれないとしたら、けしからんのは志摩市や解放同盟だけではないだろう。寺園の記事が、そういう疑問に答えていないのは残念であった。

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『スティーヴン・スペンダー日記』(徳永暢三訳、彩流社)は妙な翻訳である。もっとも妙なのは主としてスペンダーが来日した1958年の部分で、「ショウゾウ」という学者が随行しているのだがこれは徳永その人であり、まあ自分のことだから照れて「ショウゾウ」なんてしたのだろうが、ほかも「ユキオ・ミシマ」とか「ナカジマ・ヨシエ」といった具合。「マツオカ」という女が出てきて、これは松岡洋子だろうが、徳永は分からなかったのか、「作家、かつて首相であった人の娘、フェミニスト」という原注をそのまま訳しているが、松岡洋右の娘とでもスペンダーが勘違いしたのか。
 さて北海道へ行った時、案内者になった「教授」が退屈な人物で、疲れているスペンダーを休ませず、大浴場へ誘った、などとあるのだが、この教授のことはよほど印象に残ったようで、帰国後の私信でも盛んに触れていた、と訳者あとがきで徳永は書いている。おそらく、英文学者だが詩が専門ではなく、英語もうまくなくて、役割を押し付けられたのだろうというのだが、徳永は「北海道大学」の「T教授」と書いているのだが、誰? 

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