あの堀北真希とかいう女優のぶっとい眉毛は何であろうか。『徳川慶喜』の時に和宮をやった小橋めぐみはめちゃくちゃかわいかった。しかし、最近出た映画では、そうでもなかった・・・。『オーケストラの少女』で世界的女優となったディアナ・ダービンは二十代で引退したが、確かに彼女は三十過ぎるとイメージチェンジは難しかっただろう。原田知世や石田ひかりのように・・・。
スポーツには興味がないが、飛び込みだけは好きである。むろん、女子飛び込みである。郭晶晶を観たいのだがテレビではやっていないらしい(やったのか?)。あの不愛想な態度がまたいいのだ。
伊藤整は晩年、『氾濫』『発掘』『変容』の長編三部作を書いた。夏目漱石の衣鉢を継ぎ、本格小説を構築すべく、リアルな世界を設定して、性欲、金、出世欲、打算などを描いた、いわば西洋自然主義風の作である。うち『氾濫』は映画化もされ、新潮文庫に入っている。『変容』は岩波文庫。しかし『発掘』だけは、全集のほかには、文庫化などはされていない。
実はこの三部作の順番は厄介で、『発掘』のほうが1962年から63年まで『新潮』に連載されたが、単行本化されず、その間に『変容』が出て、『発掘』は伊藤の死後、新潮社から単行本化された。ために、修正されなかったおかしな記述が残っている。
『発掘』の主人公は、54歳で、新設された明治文化研究所の所長を務める土谷圭三であり、若い頃、酒場の給仕女と関係して妊娠させてしまうが、恩師の姪との結婚話があったため、姉の意向もあって女と別れ、生まれた子供は養子に出している。伊藤は、曽根博義の伝記によると随分もてたそうで、『発掘』でも、過去にその浮気のため妻がノイローゼになった経緯が描かれ、現在時においても40前後の女と情事をもつ。つまり、『発掘』は、『鳴海仙吉』『若き詩人の肖像』のような、伊藤の私小説に近いものだが、そこで土谷の私生児が成長して私立大学を出たということを聞いて「Sといふ名前の大学は、私立大学としては一流の学校であつたが、私立大学に入つてゐるといふのは、あまり頭のよい子供でないかも知れない」と思う。今ならありえない文言だ。
こないだ「PLANETS」のインタビューで、大塚英志なんか軽蔑している、と言ったのだが、軽蔑は言いすぎかなと思って直したが、『週刊ポスト』に載っていた西部邁の『妻と僕』の大塚による書評を見て、やはり軽蔑で良かったかも、と思った。何しろ大塚は、妻の病を(も)描いているこれを江藤淳と並べて、なぜ保守思想家は妻をよりどころにするのか、などと言い出すのだ。たった二人だけで。じゃあ福田恒存や西尾幹二や林健太郎は? 妻の死を描いた人といえば、近藤啓太郎、壇一雄、亀井俊介、城山三郎などがいるが、これはみな「保守思想家」か?
結局こういうものを読むと、角川の賞なんか貰ったのはなんか人脈があったからで、所詮は学問的素人なんだなあ、と思うほかないのである。
(小谷野敦)