訃報など

 鴎外の「舞姫」はもちろん私小説だが、主人公太田豊太郎は、鴎外自身ほどのエリートして描かれてはいない。だから、天羽子爵からむやみと眼をかけられ、あげくエリスと別れさせられるのは実は不自然なところがあって、小堀先生は「鴎外は太田豊太郎を森林太郎と混同している」と書いている。
 谷崎の「痴人の愛」も私小説だが、主人公の河合譲治を一介のサラリーマンに設定したために、べらぼうな高給とりという設定になっている。「蓼食う虫」や「細雪」でも、谷崎自身が姿を変えて出てくるが、おかげでいずれも、妙に暇だったり、やたら文学的素養がある人物になってしまっている。
 事実を変えて書くというのはかくも難しいもので、だから「黒髪の匂う女」の葉室充が、イエロージャーナリズムに書かれるほどの有名人か、というのも、考えると疑問なのである。
 
 昨日は敗戦記念日であった。終戦の日と称しているのは語の間違いで、日本の終戦サンフランシスコ講和条約の時である。

 本日は訃報が届いた。大阪大学文学部の比較文学研究室主任教授の内藤高氏が14日、59歳で亡くなった。
 内藤氏は先輩だが、会ったことは一度しかない。1996年秋から、阪大文学部に比較文学専攻が新設されて、同志社にいた内藤氏が主任で来たため、柏木隆雄先生、中直一氏、ヨコタ村上などと酒を呑んだ時のことで、この時ヨコタ村上が従軍慰安婦の話の中で、「とにかく売春婦はかわいそうなんだから」と言っていたのを覚えている。しかし内藤氏は寡黙も寡黙、ほとんど言葉を発さず、例によってヨコタ村上が、「ほら内藤さんなんか、何も言わない」などと言ったのを覚えている。
 その後、私が阪大を去った後、糖尿病であったろうか、片足を切断した、と聞いた。こういう病弱な体で専攻を一人で切り盛りしていたのは(昨年から一人教授が増えた)、何ともはや無理な話であった。もっとも当然、内藤氏には何の恨みもなく、そういう人に限って死ぬのだ。
 (小谷野敦