日日是勉強

 中学生の頃から「堀越公方」を「ほりこし」と読んできたが、「ほりごえ」であることが分かった。『日本国語大辞典』には「ほりこしくぼう」とあるのだが、伊豆の国市市役所に電話したら「ほりごえです。幼稚園も小学校もみなほりごえです」と断言された。「ほりこしと書いている辞典もあるんですが」と言うと、「ああ、それは現地へ来たことのない人が書いているんです」と断言された。学問は日々新たなのである。
 『国史大事典』を見ると、「堀越公方」の項目に、「ほりこしくぼう」とあって、「堀越(ほりごえ)」にあった、と不可解な記述、『日本史大事典』では、地名はほりごえだが、ほりこしくぼうが慣用読みとあった。

 しかし訓詁注釈というのはおかしなものだ。まあ文学作品の注釈はまだいいのだが、マルクスのテキストを金科玉条として、マルクスの真意は何か、とやったりするのは元より、仏典ですら、さすがに原始仏典まで遡ると意味はあるかもしれないが、「無量寿経」あたりを訓詁注釈しているのは、どうもおかしい。その仏典の著者が正しいという前提がおかしい。