私が、世間では評判のいい本にあまり感心しない人間だということに気づいたのは、大学へ入って数年たったころだろうか。高校時代にも、ドストエフスキーの『白痴』とか川端の『雪国』が分からないで難儀したが、これは自分がまだ幼いからだと思えた。大学へ入って最初のころ、岩波文庫で出たゴーチェの『死霊の恋・ポンペイ夜話』を読んだら存外つまらなかったのだが、これはのち独文科へ行った同じクラスの女子も、そう言っていた。
もちろん、『ガリヴァー旅行記』とか『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』には深い感銘を受けたわけだが、存外、日本人が書いた評論でダメなのが多かった。『道化の民俗学』とか『ヴェニスの商人の資本論』とかである。
大学院生のころには、私がやすやすと本を褒めないということは周囲の人にも知られていた。吉本隆明なんかは、自分がまだ理解できないのだろうと思っていたが、のちにそうではないことが分かってきたし、当初は高く評価していたのがあとで低下したのも少なくない。
今も書評する時には苦労しているが、「書評家」というような人は、一月に四、五冊の傑作や名作を発掘しなければならないのだから、とても私には務まらない仕事だなあ、と思う。