伊藤勝彦という人

 伊藤勝彦という哲学者には、教わったことがある。大学一年生の時に非常勤で教えに来ていたので、一回だけ授業に出たが、あまり面白くないので以後出なくなった。博士論文を書いていた時に、参考文献として『愛の思想史』は読んだが、中身は覚えていない。 
 その伊藤の『三島由紀夫の沈黙 江藤淳石原慎太郎』(2002)を読んだが、とにかく三島への心酔が激しく、いっちゃってる感があった。三島を批判したというので、江藤も攻撃はされているが、言葉が激しいわけではない。江藤とは親しかったと書いてあるから、政治的に右の人なのかと思ったが、今のところ不明。もしかして長谷川三千子を埼玉大に呼んだのはこの人か?
 121p「天地有情」という章は、自分の思想を大森荘蔵は理解しなかったといった話から始まって、「ところがである。驚くべきことが起きたのである」とし、一行あけて、「一九九六年十一月十二日の朝日新聞夕刊に大森さんは次のように書いていた」として、大森の、世界が感情的なのであるといったオカルトじみた文章が引用される。
 そのあと、伊藤は、「これは二〇〇〇年四月に『ちくま学芸文庫』の一冊として書かれた、ぼくの『天地有情の哲学』の書きだしの部分である」と書いている。えっ、大森が伊藤の文章を盗作したのか? と思ったが、よく見ると大森のほうが先である。でちくま学芸文庫のほうを見ると、書き出しではなく、少しあとに、大森の文章が引用されていた。
 こういう場合は、「ちくま学芸文庫の……でも引用したが」とか書くべきであろうが、論旨ともども、いっちゃってる人、という感を強くした。

                                                                                  • -

続いて、伊藤の最新刊『森有正先生と僕』(新曜社、2009)を借りてきて見ていたが、79歳になっているせいか、はなはだとりとめがない。話題があちこちに飛ぶ。森有正がフランスで結婚した女がレズビアンで、娘が自殺したことは分かった。
 だが、最初の結婚に関する記述が変で、キリスト教の師匠である浅野順一という人の教会に来る人の中から浅野が選んだというのだが、浅野夫人が、三人並んで写っている写真を森に見せて、浅野が「一番右が候補の人ですよ」と言ったという。

 奥さまから一番右の人は、森先生から見れば一番左の人ということになる。だが先生は、一番左の人ではなく一番右の人がキレイな女(ひと)に見えたから、「先生のご推薦される方なら喜んで…」と答えてしまわれた。何という軽率! 結婚式に現れた人が自分が描いていたイメージとまったく違う人であるから、びっくりしてしまわれた。今更、その人を拒絶することはできない。おまけに、その人は渡辺一夫先生(恩師)のご親族ということだから、当然断るわけにはいかなかった。

 …????? なんで写真を見ていて、二人の人で右と左が違うのか。
 徳川時代ではない、昭和17年で、結婚式で初めて相手を見るなんてことが本当にあるのか。
 それにこの本、最後に「森有正略年譜」がついているのだが、伊藤勝彦の年譜が混ざりこんでいて、すごく気持ちが悪い。またあとがきでは、伊藤の長男の妻「さやか」が、「コンピューターを駆使する能力を持っていて」、フリー百科事典「ウィキペディア」の森有正の項から、高橋久史の名前を発見してくれた、のがこの本を書いたきっかけだという。いや別にそれは「駆使する能力」というほどのことでは…。
 ところでそのレズビアンとの結婚も、ただ美人だというだけで、よく知りもしないで結婚したらしいから、森というのは、やっぱり変な人だったらしい。