http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20080116
mailinglistくんとは意見が一致しないようだ。
そのいじめられた経験で損なわれた自尊心や、脅かされた恐怖というものは、物理的には存在しないのだということだ。物理的に存在しないものを根拠にして他人に敵対しようとしている個人が、第三者にとってやりきれなく思えることを、せめて知って欲しい。
それは要するに、シナ人や朝鮮人(南北)が日本を恨んだりするのはやりきれないということなのだろうか。ユダヤ人がヒトラーを憎んだりするのも、そうなのか。ただその場合私は第三者だが、別にやりきれなく思ってはいない。従ってこれは偽なる命題だ。
http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20080117
実際に身内を殺された中国人なら中国人にたいして、やりきれない思いをいだく権利はわたしにはありません。
二重におかしい。すると何かね、いじめられて自殺すると死体になるから恨む権利があるというのか? しかし死んでいる当人はもう恨めないわけで、いったいなぜいじめられて心に傷害を受けた人間が相手を恨むのがやりきれなくて、シナ人が身内が殺されたからと言って恨むのをやりきれなく思う権利はないのかね。ではいじめが傷害になったら物理的なのか、はたまたその怪我が治ってしまったら恨む権利はないというのか? では脳内に物質的記憶として残っているものは、いかなる科学的根拠によって「物理的」ではないと言えるのかね。
ちなみに、私が河野義行をおかしな人だと思ったのは、2003年1月11日の朝日新聞に載った河野の文章によってである。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
ペドロ・アルモドバルの『ボルベール』を朝方観て、夜になって芥川賞をとったので川上未映子の受賞作を読んで、40くらいの女二人に女の子がからむ話が流行しているのか、と思った。