私に見つかるのも気の毒だ

 というわけで、山内乾史の『文藝エリートの研究』(有精堂、1995)を拾い読み。これは神戸大学博士号請求論文なり。文藝エリートとは実作者ないしマスコミに寄稿する評論家などのことで、文藝家は学歴とは関係なく現れるという通説を批判し、明治から昭和前期まで、文藝エリートはけっこう高学歴であったという仮説を述べたものなり。
 されどこれは文学研究者の間では常識に属するもので、かつ山内が参照した論文が疎漏に過ぎるのである。また扱っているのは1939年生まれまで、かつまた大江・古井以後、文藝実作者はむしろ低学歴になりつつあることこれまた常識なり。それは1994年といえど歴然たるものありて、山内が近年の芥川賞受賞者の学歴を調べればすぐ分かったことだ。まあこんな古証文について今さら言うのも気の毒だが一応メモ。

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『自由の創出』(白水社)訳者あとがきで小西嘉幸は「スタロビンスキーが正しい」と書いていたが、95年の『絵画を見るディドロ』(法政大学出版局)で小西は、ジュネーヴでもフランスでもそう呼ばれていたが、『病のうちなる治療薬』あとがきで本人が、スタロバンスキーと呼ばれたいと書いているので、ここではそうした、としてスタロバンスキーとしている。