「ひとり日和」

jun-jun19652007-03-05

 イェイ、読みましたよ、「ひとり日和」(筒井康隆のまね)
 ヒロイン三田知寿は二十歳、高校を卒業してアルバイトをしている。両親は五歳の時に離婚して、高校の国語教師の母親、47歳に育てられた。家は埼玉県の、東京まで二時間かかるというから羽生くらいのところ。母が教師交換か何かでシナへ行くというので(原文には「シナ」とは書いてありません)、知寿は、親戚のおばあさん宅に預けられることになる。おばあさん宅は小さな駅の前の平屋で、駅名は出てこないが、京王線芦花公園であることが状況から分かる(*)。母は知寿に大学に行けというが、知寿にその気はない。おばあさんの名前は荻野吟子、71歳。日本で初めて女医になったうちの一人と同姓同名だが、誰もそのことには言及しない。渡辺淳一『花埋み』のヒロインである。荻野吟子は、三つ隣の駅に住んでいるというホースケという老人の恋人がいる。2006年春のことである。母は二十年前、金沢から出てきて吟子のところに住むはずだったが、猫臭かったので男のところへころがりこんだ、とあるが、同時に知寿が生れていないとおかしいので、これは21年前のことと思われる。その時26歳なので、大学を出て金沢で教師をしていて、東京へ転職したのだと思われる。
 知寿と吟子の関係は、乙骨淑子十三歳の夏』に似ているが、作者が読んだかどうかは知らぬ。
 作中の台詞に、旧甲州街道沿いのチトセホテルというラブホテルの名が出てくるが、これは実在する。「入り口にアヒルちゃんのいる池」は写真参照。また猫の総称として「チェロキー」という名が出てくるが、これはチトセホテルの近くのスナックの名である。
http://www.green.dti.ne.jp/chitosehotel/index.html

 知寿はコンパニオンのバイトのほか、朝は笹塚駅売店で働き始める。笹塚駅のプラットフォームは私も乗り換えでよく降り立ち、端のほうへ行ってタバコを吸う。知寿は高校の先輩の陽平という男とつきあっていた。陽平は大学でシステム工学を専攻しているという。だが既に二年半のつきあいで倦怠期になっており、ほどなく別れ、笹塚駅で働いていた藤田という青年とできて、一緒に高尾山へ行くが、帰りにつつじヶ丘の駅で特急の通過待ちをしていて人身事故に遭い、歩いて帰るのだが、これは急行に乗っており、千歳烏山で各駅停車に乗り換える予定だったはず。藤田は笹塚駅近くに男と同居しているので、同居人が不在の時だけセックスをする。だから同居人がいる時にチトセホテルを利用したのだろう。だが藤田は新しく働き始めた糸井という女の子にとられてしまい、駅のバイトをやめた知寿は会社のバイトになるが、2007年になって、正社員になるよう言われ、東武東上線沿いの社員寮に移る。母は一時期国して、支那人のワンさんに求婚されていると言う。
 小説としての出来はどうかというに、意外にも、うまい。ちゃんと引き込まれる。山田詠美から見ればちょっと退屈なのも分かるが、知寿は眼鏡を掛けている。恐らく、かわいいというほどの顔ではないが、セックスなどごめんというほどブスでもない顔であろう。こういう女は、こういう風に間に合わせに男とつきあっては別れるということを繰り返すもので、その辺がリアリティがある。なかんずく、笹塚で藤田に居留守を使われ、三時間かけて芦花公園まで歩いて帰ったというところ、すばらしい。文章もうまい。サラサラ書いているようだが、なかなかこうは書けないものだ。特に、ただの情景描写がうまい。
 最後に、知寿が会社の既婚者の男と一緒に府中競馬場へ行くのは余分だったような気もするが、またこの女が泣くことになるのだという未来を暗示しているのであろう。確かに、そうでないと結末がキレイすぎる。
 納得の行く芥川賞受賞である。しかし、メタフィクションだの文学理論だので武装した作家から見れば、こんな淡々たるリアリズム小説は許せんであろう。しかし、リアリズムの擁護の立場にたつ私としては、嬉しい。それと、京王線沿線の、時にひどく淋しそうな雰囲気を私が知っているということも、この小説に感情移入できた理由として大きい。しかし、土地の雰囲気を写すというのも、小説の重要な要素である。あ、そうそう、知寿が会社の屋上の喫煙室で昼食をとるというあたりも、私の好感度アップ!
 ところで作者は筑波大卒だが、筑波といえば松村栄子。松村の受賞作を読んだとき、ひどく簡単に恋人ができるなあ、と思ったが、青山はヒロインを高卒に設定することで、そういう違和感を消すのに成功している。いや、実際、筑波は陸の孤島だから、できやすいらしいのだが。
(*)当初、「家を出て環八を歩いて」という記述から、環八わきの八幡山と推定したが、八幡山は高架になっているので、隣の芦花公園と訂正。プラットフォームが見える平屋は北側に存在したが、商店街を回っていかねばならないことはない。南側は現在マンションか何かの建築中。現地調査に行ってきました。文学研究はこうした地道な作業から始まります。