古典はいつ読み終わる

 先日、ゴーゴリの「死せる魂」と、ゾラの「居酒屋」を、いずれも百円くらいで古書店で買った。どちらもまだ読んでいないが、はて、自分はいつになったら、このレベルの古典的文学作品、あるいは古典的著作を全部読んでしまうのだろう、と考えた。
 「魔の山」や「夜明け前」、「虚栄の市」は、途中で放り出した。そういうのはいいが、「三銃士」は買ってあるがまだ読み始めていない。ヘッセは「車輪の下」と「デミアン」だけだし、モームに至っては「人間の絆」を中途で放り出して、それ以外は読んでいない。「アラビアン・ナイト」や「マハーバーラタ」を通読するのは難しかろうが、ざっと見るくらいなら・・・「デカメロン」もまだ、「妖精の女王」は買ってある。
 日本近代の有名作はだいたい読んだはずだが、古典ではまだ少し残っている。まあ旧大系に入っているもの程度は済ませたかな。あとジャック・ロンドンを読んでいない。「猟人日記」(これは「猟人の手帖」と訳すのが正しい)がまだだし、モーパッサンの「ベラミ」あたりもまだだ。これほど読みに読んでも古典的作品を読み終わらないのに、新作小説の片々たるものなど読む人は、何であろうか。そういえばトゥキュディデス「戦史」もまだだ。

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 今回の芥川賞直木賞はまるで「大虐殺」だった。候補作の時点で中原昌也西村賢太も落とし、本選考では三島賞受賞から六年の星野、本命の佐川さんを落とし、ついで北村さんを落とす。野間文藝賞や同新人賞は「作品より人」なので、芥川賞をとれなかった作家はだいたいこの新人賞をとっているが、いやはや。しかし選挙のアナウンス効果と同じで、あまり「事前予想」をやると、それに逆らう選考になることも、あるんじゃないか。週刊朝日斎藤美奈子なんか、外している予想があと五日ほど店頭に並ぶのはまずいだろう。
 しかし、23歳女子受賞となって、また、「あたしもとれるかも」みたいな勘違いをする若い小説家志望者が就職もしないで創作にいそしみ極貧に落ちる、みたいな事例を増やすことになりやしないか、そのことの方が懸念される。          (小谷野敦