「オール読物」で直木賞の選評を読んでいたら、「テスカトリポカ」の評価について選評で論争をしているような趣きがあった。中でもちょっと怖かったのは三浦しをんで、その残酷描写への批判に対する「反論は、『ジョジョの奇妙な冒険』の名言「お前は今まで食べたパンの枚数を覚えているか?」に尽きる」として、残酷なことが行われているのは事実であり、それを描写し、それを行った者は滅びているのだからいいのだ、と書いている。説明はともかく、「ジョジョ」というのは私は最初のほうを読んだだけで、この「名言」がどういう文脈で出てくるのか、またその意味もよく分からず、むしろ三浦しをんの熱情のほとばしりに恐怖を感じた。
残虐趣味について、道徳的にどうかという選考委員がいて、それへの反論があるのだが、私は単に、残酷描写を読むのが苦痛だったというだけで、ただそれでは作品への批判にならないから、道徳的云々と言っているだけで、話がかみあっていないだろうと思う。
私も20年くらい前に、タランティーノの映画の残酷描写に辟易して、二度と観たくないと書いたことがあるし、金原ひとみの「蛇にピアス」も、痛そうで初見の時に読み通せず、『芥川賞の偏差値』を書いた時に改めて読んだが、まあ二度読みたいとは思わない。
これが一般人なら、「残酷描写は観たくない/読みたくない」で済むのだが、作家(詮衡委員)や文藝評論家となるとそれでは済まなくなるというのが実情である。『テスカトリポカ』はノワールと言われており、私はノワールというのは好きではない。もっとも私が選考委員として秤量することになったら、自分の好き嫌いは棚に上げるが、三浦しをんのような熱量をもって評価することはあるまい。
しかし英文学者の北村紗衣がタランティーノのマニアだったり、『テスカトリポカ』を絶賛するのが豊崎由美や三浦しをんや林真理子や桐野夏生であり、擁護するのが宮部みゆきで、疑問を呈するのが浅田次郎や伊集院静や北方謙三であるというのは(高村薫は否定的)女は残酷趣味なんだろうかと思ってしまう(山周賞でも三浦しをんと江國香織が絶賛しているがこちらは今野敏、荻原浩ら男も賞賛している)。うちの妻もアート系キチガイ映画が好きで、私は韓国の「お嬢さん」とかいう気持ち悪い映画を観る羽目になってしまった。