本日、第二回公判。次回、結審である。
当方の準備書面は以下のとおり。

 平成18年(ワ)第674号 損害賠償請求事件

 原告 小谷野 敦
 被告 国

               第1準備書面
         
                          平成18年4月19日

 東京地方裁判所民事第6部B係 御中

                  原告 小谷野 敦

 1、訴状の訂正
  被告準備書面が指摘した訂正のうち二箇所は訴状訂正申立書によって訂正した。ただし、「附帯意見」は「事実及び理由」の一部をさす通称であり訂正の必要を認めない。

 2、「不知」について
  被告準備書面が「不知」としたもののうち、杉村太蔵衆議院議員(以下、「杉村議員」とする。)の発言についての報道は、新聞記事の写しを提出し(甲2号)、第1の1の2の(2)については、小谷野敦他『禁煙ファシズムと戦う』(ベストセラーズ、平成17年)に付載された小谷野訳によるジェイムズ・エンストローム論文の写しを提出する(甲3号)。

 3、被告側準備書面(1)への反論
 杉村議員について被告の主張に反論する。同議員は、国会議員として、国民からの内容証明付抗議文に対し何らの返答をしなかったことは、その説明責任を果たさなかったものであり、職責を汚すものとして国家公務員倫理法第3条「国民に対し
不当な差別的取扱いをしてはならず、常に公正な職務の執行に当たらなければならない」に違背するものであり、発言そのものは憲法51条によって免責されているとしても、これが報道されたことによって、喫煙者、たばこ農家及びたばこの製造・販売に携わる人々の人格権を侵害した。また同議員の発言の背景には、喫煙という合法行為をあたかも不道徳行為のように取り扱う国の政策が反映しており、被告が例示した最高裁判例の事件とは性質を異にするものである。
 被告は「受動喫煙」という語を、科学的に決定された語のように用いているが、原告はこれを認めない。また(3)イに、健康増進法の趣旨についての説明があるが、同法には不備な点があると考えるので、いずれも後述し反論とする。
またウにおいて、自動車等運転、酒・アルコールの規制について述べられているが、原告はこれを憲法14条違反の疑いがあると指摘している。憲法14条に関して、別の範疇に属するもの同士についての判例は発見できないが、それはこのような事態がかつて存在しなかったからである。多くの喫煙者は、現在のたばこに対する迫害について、健康に悪いというならなぜ酒はいいのか、また公共空間で他人に害を与えるというならなぜ自動車等はいいのかという素朴な疑問を抱いており、国はこの問いに誠実に答えなければならない。
 次に2(4)が、裁判官の行為が国家賠償法上違法とされる要因を挙げ原告の主張を否定しているのに反論する。当該訴訟は、自らが属するタクシー会社が禁煙車導入を拒んだため、国と会社を提訴した事件である。しかるに裁判官は、請求を棄却された原告が望む、自らの請求に基づく禁煙車導入という線を超えて、タクシーの全面禁煙が望ましいとしたもので、原告の請求の方向をさらに極限化した示唆を行った職務の範囲からの逸脱と言うほかない判決である。裁判官はここで、原告の請求を棄却しつつ、仮に原告の利益について付言するなら、禁煙タクシーを望む運転手に会社がそれを認めるよう提言すれば済むところを、喫煙そのものを敵視する禁煙運動家らの主張に沿うような意見を述べたものであり、明らかに「その付与された権限の趣旨に背いてこれを行使したもの」に当たる。この意見は、喫煙を望むタクシー利用者および運転手を迫害するものであり、しかも既に政治運動と化している禁煙運動に加担するものであって、人事院規則に定められた政治的行為に当たり、国家公務員法102条1項に違反するものである。
 次に、原告に直接向けられた行為は杉村議員が返答しなかったこと以外になく、損害賠償請求の原因とならないという主張に反論する。福岡地方裁判所平成13年(ワ)3932号損害賠償等請求事件は、内閣総理大臣靖国神社参拝を違憲とする原告の請求が棄却されたものであるが、その判決の「結論」において、「現行法の下においては、本件参拝のような憲法20条3項に反する行為がされた場合であっても、その違憲性のみを訴訟において確認し、又は行政訴訟によって是正する途もなく、原告らとしては違憲性の確認を求めるための手段としては損害賠償請求訴訟の形を借りるほかはなかったものである」とある。本訴においては、原告を含む多くの喫煙者が、憲法14条に違反する疑いのある差別的迫害に苦しんでおり、原告はまさにこの判決が述べるとおり、損害賠償等請求の形を借りるほかなかったものと理解されるべきである。

 4、原告側主張および反論

 a,健康増進法および厚生行政がもたらした被害

訴状は簡単に述べられたものであるから、ここで改めて弁論を行い、健康増進法の不備、ならびに「受動喫煙」という語の科学的根拠の曖昧さについて述べる。本訴訟の背景には、西洋、なかんずく米国の清教徒主義から発した世界的な反たばこ
の動きがあり、それがこうした喫煙者などに対する差別的取り扱い、差別的発言をもたらしたものと考えられる。原告は、この動きをソフトなファシズムと見るものであり、この風潮に関する行政、立法、司法の責任を問う。以下、この動きを禁煙ファシズムと呼ぶ。そのファシズムたる所以の最大なるものは、マスコミ等公共の場での議論が封殺され、各公共機関がこちらの問いに対し誠実な回答を与えない点である。
健康増進法第25条に用いられている「受動喫煙」という語は、喫煙者の周囲にある者が、あたかも当人が喫煙したかのような健康被害をこうむるという主張をなす疫学的研究が使用した語であり、前掲エンストローム論文は、これを用いず「環
境内煙草煙」という表現を用いている。また東海大学名誉教授・春日斉「受動喫煙に関する基礎的研究」は、受動喫煙という語を用いているが、環境内煙草煙の影響に関する平山疫学に強い疑問を呈している。従って「受動喫煙」という語を用い、
その影響が自明であるかのごとき立場に立った被告の反論は、科学的に十分な根拠を持たないものであり、それをもって喫煙者を迫害するがごとき行政措置は、喫煙者の人格権侵害に当たる。
 また健康増進法は、その第1条(目的)において、「急速な高齢化の進展および疾病構造の変化に伴い、国民の健康の増進の重要性が著しく増大していることにかんがみ」としているが、「急速な高齢化」が進んでいるということは、医療技術の
進歩によって国民の健康状態が良くなっていることを示すものであり、既に後段を引き出すことは論理的矛盾である。試しにこれを「近年、平均寿命の低下にかんがみて、国民の健康の増進の重要性が増大している」と書き改めてみれば、こちらの
ほうが遙かに論理的整合性を持っており、同条文は極めて杜撰な論理構造しか持たないことが直ちに理解できる。なかんずく日本人の平均寿命は世界一であり、なにゆえここにおいて殊更に健康の増進を図る必要があるのか、理解できない。
 その第2条(国民の責務)には、「国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない」とあるが、国民各個人は、おのおの自らの健康に留意
しているはずのものであり、そのことを国によって義務づけることは、昭和20年の敗戦以後に廃止された国民精神総動員法、国家総動員法のごとき全体主義的法律を想起させる。また、喫煙が法令で禁圧するほど健康に害があるならば、国は麻薬同様にその販売自体を違法とすべきものであるのに、煙草の販売、吸引は違法ではない。そのことはとりも直さず、煙草の嗜好品としての害が、法令によって取り締まるほどの重大なものではないことを証拠だてている。また同法第25条について
は、もし「受動喫煙」なるものが存在し、法令によって制御されなければならないほどの害であるなら、喫煙者当人が受ける害はそれより遙かに重大であることになり、しかしながら喫煙そのものは禁止しないという点において、第1条と矛盾を来している。
 かくのごとく、一方で合法とされている煙草吸引が、一方で指弾され迫害されなが、一方でたばこが重要な税源となっているのは、あたかも徳川幕府の「百姓は生かさず殺さず」の政策のごとき前近代的で人権を侵害する行政である。
 たとえば大相撲において優勝者は天皇杯内閣総理大臣杯などの表彰を受けるが、力士の寿命は極めて短く、四十代、五十代で死去する者が少なくない。相撲はそれだけ肉体を酷使し健康を損なうスポーツである。ならば力士は健康増進法に違反
しているのか。むろん健康増進法は訓示規定に過ぎないが、これを積極的に犯している者を、国の象徴たる天皇および行政府の長である内閣総理大臣が表彰することは、健康増進法に違反している。
 また『共済新報』平成16年11月号にて、厚生労働省健康局生活習慣病対策室室長補佐・森田博通は「健康増進法の目的と健康審査等指針の概要について」を掲載し、「健康寿命の更なる延伸」を唱えているが、「健康寿命」の算出は、病人の介護に関わる人数を変数としてなされるものである。しかしこれは、介護を要する病人、場合によっては長期にわたる先天性、ないし事故によるものを社会の荷物と見なす、非人道的、いわばナチス・ドイツ的なものの考え方であり、民主主義国家に相応しいものの考え方とはいえない。
 さて、同法施行後、敷地内を全面禁煙とした学校、地方行政府、企業などがあるが、そもそも同法25条は全面禁煙など謳ってはいない。そうした各機関に勤務、またしばしば所用のある成人は、休憩時間にも喫煙を許されないという不条理な状況に置かれているのである。先ごろの報道によると厚生労働省の建物内に一か所しか喫煙所がなく混雑して喫煙者からも苦情があったため全面禁煙にしたというが、喫煙者の苦情は、喫煙所を増やせというものだったはずであり、このような措置は、イデオロギー的なものであって喫煙者国民の権利を侵害するものである。イデオロギーに合わせて無理に現実を変えようとする試みは、歴史的に見ても社会主義、売春禁止等、常に失敗しているが、厚生労働省はその愚を繰り返していると言わざるをえない。
 またこの条文に分煙配慮をすべき場所として記されてもいない、東京近辺の私鉄各社が、軒並みプラットフォームを全面禁煙にしてしまい、日本民営鉄道協会はこれを「健康増進法の施行に伴い」と説明しているが、法の誤解と言うほかない(同
協会ホームページ)。同法施行以前は、プラットフォーム上に喫煙所が設けられ、そこでのみ喫煙が許されており、混雑時はそこも禁煙とすることで、既に分煙はなされていた。首都圏のような大気が汚染された地域の地上駅において、喫煙所がプラットフォームの端に設けられていれば、混雑する時間帯以外であれば、煙を忌避したい乗客は近寄らなければ済むことであり、全面禁煙とするのは不条理である。原告は、京王電鉄および小田急電鉄社長に手紙を書きこの点を質したが、納得のゆく回答は得られなかった。東武鉄道には電話をし、その他劇場等がロビーを全面禁煙にした点について問い質しても、多くは「健康増進法のからみで」と答えることが多く、その「からみ」という語の意義を問うと説明できず、いずれも全面禁煙に
する理由を答えなかった。これはまさに、健康増進法第25条の違憲的解釈である。原告は、喫煙ができないことに苦痛を与えられたというより、それに対する明瞭な説明を与えられないことによって苦痛を被ったのである。ほかにも、大学内の全面禁煙等の措置を「健康増進法の施行に伴い」としているものが多々あるが、同法の誤解であり、国はその誤解を積極的に推進し、文部科学省厚生労働省の協力要請に応じて平成15年4月30日付でスポーツ・青少年教育局学校健康教育課長より、各学校宛「受動喫煙防止対策及び喫煙防止教育の増進について」を通達しており、これは喫煙者の人権を侵害し、合法であるたばこ吸引という特定の属性を持つ国民を差別する不当な行政であると言わざるをえない。
 また平成17年11月9日の『朝日新聞』の報道が、厚生労働省は禁煙指導に保険を適用することによって今後15年間で1846億円の医療費を削減できるとしているとあった点で原告は厚生労働省宛、その実否、また事実であるならその試算の根拠を教えるようメールで訊ねたが、受けとったとの返事が来たのみで現時点で返事を受け取っていない(甲4号)。なおこの試算について一言すると、これが年額であるなら、現在日本の医療費総額は概略30兆円であり、月の支出が30万円である者に、たばこをやめれば一箱三百円で一月三十日とすれば9千円の節約になると言えば耳を傾けるかもしれないが、これだけ努力すれば1846円の節約になると進言しても相手にされないだろう。かくのごとく、厚生労働省の喫煙に関する行政は、愚昧と評するほかないものである。
 そもそも公共機関は、自由主義社会とはいえ、利用者の差別的取り扱いをしないよう監督官庁の指導を受けるものである。しかるに国、なかんずく厚生労働省あるいは文部科学省はむしろ差別的取り扱いを奨励するがごとき指導を行っているとしか思えない。特に病院内を全面禁煙にするよう厚生労働省は指導しており、その結果、入院患者の喫煙者が、点滴の装置を引きずりながら冬の寒空の下に設けられた喫煙所へ向かうという非人道的な情景を原告はしばしば目撃している。これは憲法11条および13条に違反する。厚生労働省が病院に対し、全面禁煙にするよう圧力を加えているという指摘があるが、事実か否かを問う。
 
 b,他の他害行為との不平等

 煙草と同様に嗜好品であり、他に害を及ぼす点で、酔ってからむ等、煙草以上の暴力性を持つ可能性のある酒・アルコールについて、日本国は、諸外国に比べても極めて甘い措置しか取っていない。飲酒は、過度にわたった時、喫煙以上に直接かつ明白に当人の健康に害を及ぼすにも関わらず、現在の行政において、とうていその抑制が図られているとは言いがたい。近年飲酒運転に対する厳罰措置が取られるようになったことは喜ばしいが、飲酒は、勤務先、学校などで半ば強制的に酒の席に参加させられ、時には参加しないことが当人の社会的地位の保持や上昇に影響しつつ、しばしば酒乱、酒癖が悪い者によって、精神的、肉体的暴力の場と化すことは、広く知られている通りである。また夜間の都市部における路上、電車などでも、酩酊者による、絡む、嘔吐するといった迷惑行為が見られる。通称「よっぱらい防止法」は存在するが、酒に酔って路上の女性に淫らな行為をした国会議員・中西一善は、この法律を適用されるべきでありながらされなかった。諸外国では、酒・アルコールに関しては、一定の距離を置いて設置された店でのみ販売される、テレビCMの規制など、厳しい規制を敷いているが、日本国の規制はこれに比べて極めて貧弱、あるいはほとんどなされておらず、野放し状態である。たばこ規制枠組条約に基づいて、煙草の箱には、健康を害する旨の大きな警告文が掲げられるようになったが、酒・アルコールの容器にそのような表示はまったくない。
 厚生労働省は、平成16年6月17日付『朝日新聞』の報道によると、樋口進を班長とする研究班によって、飲酒をやめたくてもやめられないアルコール依存症の人が国内に推計82万人いると発表し、「暴言・暴力」「飲酒の強要」「セクハラ」など、アルコールによる問題行動の被害者数を3040万人と推計したとある。「受動喫煙」なる他害行為が法によって規制されるなら、飲酒もまた、時に重大な危害を他者に加えるものであり、飲酒は法的制裁を被らなすぎている。
 また本訴提起後の平成18年1月26日、最高裁は、国とたばこ産業を被告とする上告審で原告の請求を棄却し、第一審東京地裁判決を支持したが、その東京地裁判決は「事実及び理由」は、「疫学による寄与危険度割合は、ある要因の曝露群と
非曝露群における罹患者数を他要因を交えずに比較したものであり、ある要因と他の要因の寄与危険度の和が100パーセント以上となることもあり得るのであって、その数値を、当該疾病の原因となった確率としてそのまま用いることはできない」としているが、健康増進法第25条はこの疫学に基づいて「受動喫煙」を他の害と比較することなく採用したものである。また同判決は、「喫煙は、わが国では江戸時代から行われていたものであり、明治時代になって、専売制度の下でたばこ製造・販売が行われ、重要な税収源でもあったものである。たばこは、アルコール飲料、茶とともに国民のし好品として社会に定着しているものである」としている。またたばこの依存性は「アルコールより格段に低」いとも指摘している。しかるに厚生労働省は、こうした事実を支持した最高裁判決にもかかわらず、喫煙者のみをあたかも「病人」であるかのように扱い、禁煙指導への保険適用を開始し、いたずらに喫煙者を社会的偏見にさらすような行政を行っている。これは紛れもない行政府による、喫煙者に対する差別的行政であり、憲法14条違反である。
さらに重大な問題は、自動車、二輪車等の取り扱いである。これらの機械が引き起こす交通事故は、現時点で年間七千人近い死者を出し、一万人以上の、生涯にわたる身体障害の原因となっている。生命、あるいは身体がたちどころに損傷を受けるという点で、自動車、二輪車を走行させることの他害性は喫煙の比ではない。WHOの見解を受けた厚生労働省は、煙草が原因で死ぬ者の数を数十万人と主張しているが、それは明らかに疾病を引き起こした原因の一つに過ぎず、交通事故における死亡ないし傷害の原因は百パーセント事故なのであるから、疾病の原因に対して占める煙草の割合を勘案して計算すれば、自動車等のほうが遙かに生命への危害、他者への害において大きいことは明白である。人が受動喫煙によって被害をこうむることがないよう配慮が義務づけられるのであれば、自動車、二輪車によって被害をこうむることがないような配慮も法令によって義務づけられなければ、憲法14条に定めた法の下の平等に抵触する。巷間、煙草の煙について、自動車、二輪車排気ガスと対比する例が見られるが、それは自動車、二輪車が他に及ぼす害の一部でしかない。またこうした議論に対して、自動車、二輪車は生活上の役に立つ、と反論する者があるが、では遊興のための自動車、二輪車の走行は禁じるのが至当であろうし、過大な利潤獲得を目的とした走行もまた取り締まられるべきであろう。現実には多くの自動車、二輪車が、遊興、並びに多くの不必要な目的のために走行させられているのが実態である。自動車が発明されてから今日まで、概算では全世界で一千万人から二千万人の人間が自動車事故によって命を落としており、傷害を受けた人間はその数倍にのぼるであろう。これはあたかも、戦争が継続して世界中で行われていると形容しても過言ではない状態である。これを放置し、世上「ドライブ」などと呼ばれる遊興のための自動車走行が放置されながら、一方で、直ちに他人を殺すことなどできない喫煙に法的制限を加えようとするのは不条理である。
 自動車に関する規制についても、ヨーロッパ各国では、都市部への乗り入れの規制等が進んでいる。たとえば千代田区を始めとする路上禁煙条例のごときものは、自家用車に乗っていればいくらでも喫煙できるのであるから、自家用車を、経済的、肉体的あるいは精神的理由から運転できない喫煙者を迫害する差別的条例であり、こうした条例が施行されるのを放置している総務省の責任は免れない。またこれらの条例を施行した地方行政府は、これを吸殻のポイ捨て防止等と称しているが、ポイ捨てをしなければ良いのかという質問には答えようとしない。仮に喫煙の煙が他害行為であると認識しての条例だとすれば、自動車等との差別は明らかであり、こちらは紛れもない違憲立法である。
 あるいは飛行機は現在全面禁煙であるが、もし機内での分煙が図れないというのであれば、一日一便程度の全面喫煙便を飛ばしたらどうかと原告は日本航空および全日空に提言したが、全日空は事実上の回答拒否日航は運行の困難を理由として挙げた。原告は国土交通省航空局宛、差別的取扱への行政指導を行うよう書面で要請したが返事はなかった。作家・安部譲二は、『草思』2003年11月号で、パイロットや客室常務員はコクピットで喫煙していると書いているが、人によっては緊張を強いられる飛行機の利用に当たり、喫煙者にとってはせめてもの緊張緩和の役割を果たす喫煙を禁じられるのは苛酷であり、そのため飛行機での出張を断る等によって勤務先での昇進等に影響の出ている例もある。

 C,政党政治の機能不全
 政党政治においては、与党の方針に疑問点がある時は、野党がこれを批判し追求することになっている。しかるに煙草問題に関しては、国民の三千万人が喫煙者でありながら、野党のいずれも、与党の政策に表立って反対を唱えず、喫煙者は自らの代表を国会において見出せない。これは政党政治の機能不全であり、過去の大政翼賛会的な状況であり、憂うべき問題である。喫煙者は、三十代、四十代の男性において依然として半数を超えており、この事実は取りも直さず、仕事上のストレス解消の役割を煙草が果たしていることを示している。煙草が健康に悪いとするなら、行政は適切な節煙指導を行うべきであるのに、健康増進法以後は、北風と太陽における北風のごとき強圧的な措置が取られており、国を支える中核である労働者を弾圧する強権政治と言わざるをえない。

 d,マスコミの機能不全と行政による操作
 訴因第一のような、国会議員による差別発言があった場合、憲法51条によってその責任が問われない代わりに、マスコミがこれを取り上げて指弾、批判するというのが、第四の権力と言われるマスコミの役割である。しかし昨今、朝日、読売、毎日、産経の全国紙は、まったくといっていいほど喫煙者側の意見を載せず、今回も杉村発言に対して批判はなされていない。その後、本年に入って毎日新聞が、禁煙治療への保険適用を批判したのが目につく。これもまた、かつての言論統制時代を思わせる状況である。しかるに厚生労働省の『タバコ規制のための国家能力の構築ハンドブック』と題された冊子は、第2部9「メディアとの連携」で、積極的にマスメディア操作を行っていることを明らかにしており、事実上国民の三割に達する喫煙者の意見がマスコミに流れないよう操作し、国民に多様な意見の存在を知らしめないような行政を行っている。これは国民の知る権利を侵害するものである。

結論

以上の点から、被告国は、国家賠償法に基づき、原告の損害を賠償する責任がある。