駒場学派補遺
私が大学院生の頃、上海から陳生保という、50歳くらいの学者が博士号をとりに来ていた。いま調べて、当時60歳くらいに見えたなあと思う。「森鴎外の漢詩」という題で論文を書いたのだが、審査員のうち古田島洋介氏が、いたるところに間違いがあると指摘し、…
「佐伯彰一先生を偲ぶ会」が神田の学士会館であったので行ってきた。が、受付で会費を払い、何か配り物をもらってから、喫煙室へ行ったら、六年前は各階の廊下にあった喫煙所が、一階の片隅にガラス張りで小さくあるだけで、さらに配り物を見たら、平川祐弘…
塚本明子先生が駒場へ来たのは、ちょうど私が大学院へ入った年で、46歳になった年だった。筑波から来たので、加藤百合さんと同じということになる。 川本先生だったか、塚本先生を紹介して、イギリスで博士号をとって、ケンブリッジかオックスフォードか、と…
藤原書店の雑誌『環』で平川祐弘先生が私の悪口を言っていると教えられて、現物を見て、藤原書店に電話したのが12日の木曜日だ。西泰志(たいし)という担当編集者が出て、編集長=社長の藤原良雄なる者は沖縄出張中で、これから平川先生に電話すると言う。…
大学一年の時、同じクラスにNという男がいた。筑駒から一浪で入ってきた。この男が、アニメ・少女マンガ好きであった。詳細は不明だがアニパロ同人誌にもかかわっていたらしく、私をアニメ好きと見て、時おりそのアニパロ誌を笑いながら見せるのだが、どう…
『比較文学比較文化研究室通信』というのが届いて、平川先生の『アーサー・ウェイリー』出版記念会の様子がレポートされていたのだが、驚いたのが中村和恵のスピーチで「自宅の前に、平川先生に似ている郵便配達者が来たと思ったらご本人だった、という、愛…
私が入学した年の八王子合宿で大岡信がゲストで来たことは書いたが、二年目のゲストは、民俗学の宮田登先生だった。ところが、宮田先生を紹介した芳賀先生は、「宮田さんは『ミクロ信仰の研究』などで知られ」と言った。聴衆の多くは (…『ミロク信仰』だよ……
私は小学二年生まで茨城県にいたから、茨城県民の歌は教え込まれた。調べたら、私が生まれた翌年に作られているから、せっせと広めていた時期だったのだろう。http://www.pref.ibaraki.jp/profile/kenminsong.mp3 高校一年の時、山の家へ行った際、バスガイ…
芳賀・平川時代に「トンデモ修論」がいくつかあった、と書いたが、その一つは私のである。あれは創造的誤読評論だが、学術論文ではない。 ただ、そういう、無理やり関係ないものを比較したみたいなのとは別の意味でのトンデモ論文が、五年くらい前に出たこと…
http://booklog.kinokuniya.co.jp/tsuda/archives/2009/05/post_29.html 津田さんが書評を書いてくれた。なお平川先生が、電話で三時間お説教したというのは、あくまでデマとして耳に入ったという書き方で、ご当人も否定しておられるから、45分くらいだった…
私はキネマ旬報ベストテンが発表されると、それらの映画のDVDを借りて観る。それをキネ旬至上主義だの権威主義だのと言う人がいるのだが、それはあくまで「目安」である。もちろん、それ以外の映画を観ないということはないし、もしベストテン映画が下ら…
ふとしたことから、わがディーヴァ藍川由美さんの夫君が片山杜秀氏であることを知った。片山氏の名は知っていたが、調べたら、音楽と政治思想の研究者、慶応大学博士課程中退。しかし大学教師ではなくて音楽業界の人のようだが、著書がない。藍川さんのCD…