http://booklog.kinokuniya.co.jp/tsuda/archives/2009/05/post_29.html
 津田さんが書評を書いてくれた。なお平川先生が、電話で三時間お説教したというのは、あくまでデマとして耳に入ったという書き方で、ご当人も否定しておられるから、45分くらいだったのが伝言ゲームで長くなったのだろう。
 昨日の「東京新聞」に、中村和恵宇野邦一の『ハーンと八雲』の書評を書いていた。相変わらず、平川先生とポスコロ派と両方に色目を使った書評だなあ、と思ったが、最後のこれはいただけない。

 もしかしたらハーンについて最初に考えなくてはならないのはむしろ「日本を愛した西洋人」を敬愛するわたしたち日本人の内面なのかもしれない、と本書を読んで気がついた。日本のハーン論とは、日本人の日本論を写す鏡でもあるのだ。

 一見、もっともな話、というか、これまで気づかなかったのかよと言いたくなるが、よく見ると「わたしたち」は余計である。「わたしたち」さえなければ、制限用法で「平川祐弘のような日本人」になるのだが、勝手にわたしたちって括らないでほしいのである。少なくとも私は入っていない。もっともフェミ二ストもよく、女全体を代表するような物言いをしていたがね。だからこれは「…を敬愛する平川祐弘とその一派のような日本人」「平川祐弘とその一派の日本論」が正しい。

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水谷尚子さんがおかしなことに巻き込まれている。ググると二番目に水谷さんを非難する文章が出てくるのだが、どうやら高田純とかいう学者を中心とした「日本ウイグル協会」というのが、ウイグル独立運動の人を招いて日本でシンポジウムをやろうとして、しかしその協会が「右翼」「反中」であると見た水谷さんが、そういう事情を知らない運動家を呼ぶことに反対した結果らしい。水谷さんが「妨害工作」をしたとか盛んに書いてあるのだが、具体的に何をしたのかほとんど分からなくて、ミクシィの日記に粘着したとか、失笑してしまうようなことしか書いてないのだよね。
 もっとも水谷さんも、ミクシィで活動しているだけじゃなく、自分のサイトを作って立場を鮮明にすればいいのにと思う。私はまあ、中共独裁は倒れたほうがいいとは思うが、「右翼」であるつもりはないので、水谷さんの立場は理解する。しかし政治運動は厄介で、日本では、「左翼」にすると強制的に「護憲」がついてき、「右翼」にすると天皇がついてくる。

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国会図書館で、波多野烏峰『印度独立運動』を見ると、はしがきに、自分は南信八ヶ岳山麓に住まう無名の農民であるが、30年前の大正二年、『日本よ何ぞ印度の独立を援けざるや』を刊行した、とある。昭和17年に、波多野烏峰は生きていたのである。
 すると恐らくは、波多野養作は烏峰ではなく、レザラズィ氏が何を根拠に養作を烏峰としたかが問題になろう。逆に里見とんは、恐らく戦後になって、新潟のほうへ波多野春房を訪ねたと言っているから、春房が烏峰である可能性が高まってきた。
 結論=レザラズィ氏が、波多野養作と波多野烏峰(春房)を混同した。

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週刊ポスト』1991年5月10・17日号に、「47年目に公にされた里見とんの東条英機暗殺計画」という一ページの記事がある。原田熊雄の女婿・勝田龍夫日経新聞の「私の履歴書」に書いたので分かったといい、かまくら春秋社の伊藤玄二郎に訊くと、よく里見は話していたから周辺の人は知っていた、とある。
 変な記事。里見が東條を殺そうとしたことは、戦後すぐの「姥捨」以後、何度か活字になっている。伊藤氏が知らないはずはないから、調べているうちに「47年ぶりの真実」でないことは分かったのだが、せっかく取材したからというので記事にしてしまったのだろう。
 確かに勝田の「私の履歴書」(『私の履歴書 経済人28』)にはこの話が「未公開の珍話なので紹介する」と書かれている。勝田が「姥捨」など読んでいなくても別に不思議はないのだが、「未公開」というのは事実誤認である。