藤原書店の雑誌『環』で平川祐弘先生が私の悪口を言っていると教えられて、現物を見て、藤原書店に電話したのが12日の木曜日だ。西泰志(たいし)という担当編集者が出て、編集長=社長の藤原良雄なる者は沖縄出張中で、これから平川先生に電話すると言う。で藤原書店の「お問い合わせ」からメールをしておいた。さて月曜になって電話すると西である。私が、藤原氏と話したいと言うと「その必要はないと思います」と切り口上で言う。あとで撤回したが。それに考えてみたら、平川上皇(比較研究室での呼称)に反論するのに、その前に上皇と話し合ったりするのはちと筋が違うが、これは私が例によって、名誉毀損だ裁判所だと言ったせいだが、西が、自分は責任者ではないので軽々しく約束できない、と言いつつ、月曜の電話では内容について話したりするからで、しかも私のメールへの返事はないし、電話番号を教えたのにあちらからは決して連絡はない。
 これは粕谷一希との対談で、全体として、何やら『諸君!』や『正論』にでも載っていそうな代物、それなら私もブログで反論するにとどめるのだが、藤原書店というのはもっとまともな出版社だと思ったから驚いたのだが、どうやらそうでもないらしい。粕谷は藤原から三冊本を出しているし、どうやら藤原社長と親しいらしい。
 さて現物は「本をめぐる対話 第4回 比較という思想‐西洋・非西洋・日本」という、粕谷がホゥストで毎回ゲストを呼ぶものらしい。
(活字化のため削除)
 問題はこの西泰志である。12日に電話した時は「責任者ではないから何も言えない」と言い、では責任者たる藤原の帰りを待って16日に電話したら、藤原と話す必要はないと言い、しかし「ありもしないこと」については「見解の相違」だなどと言う。19日に、なぜ責任をとれないのに君の解釈を話すのかと問うたら「じゃあ私に訊かないで下さい」と言う。まるで官僚だ。藤原が出てこないから、お前に訊くしかないではないか。平川上皇に直接訊けというのであろうか。私は平川上皇は悪意をもって嘘を並べていると思っているから、それは意味はない。それなら私の反論を載せさせるしかないのだが、その前に平川上皇と相談する、というのでは、まともな対応は期待できない。何が見解の相違だ。お前のようなやつは出版社ではなく、官僚にでもなったほうがいいのだ。
 「次々と言いよってふられた」の「次々」というのはいったい何人であろうか。学部時代に一人くらいいたけれど、平川上皇がそれを知っているのかどうか。「元気にな」ると結婚できるのか。だいたい仲人を頼んだことなど、なんで『駒場学派物語』に書かねばならんのか。私は前の「結婚」については、書いたら訴えると前「妻」から言われているのだ。さらに言うが、仲人は祝儀を出し、仲人料としてその倍返し、というのが常識で、うちはお礼を先に渡して、半分返ってくるものと思っていたら返ってこなかった。こんなことは書きたくないけれども、上皇が書かせるのだ。
 読んでいない人が勘違いするといけないが、私は何も平川先生の悪口ばかり書いてはいない。離婚後意気消沈していた鶴田先生のために送別会を計画したなどということも書いているのだ。なぜそれが分からないのであろうか。よいことも悪いことも書く、それが「歴史」や「伝記」のあるべき姿だと私は信じている。「歴史」と聞いて、まんじゅう本のごとき礼賛本を期待したら、私は官僚ではない、と答えるほかない。
 「殺し文句」というのは、『日本国語大辞典』によれば、男女間で、相手を口説き落とす時に使うものである。しかもレッテルを貼るも何も、平川先生の書いたものを読んでいれば、天皇崇拝家で、神道礼讃派で「右翼」であることは誰の目にも明らかなのに、なぜそれを否定するのだろう。私は何度も手紙のやりとりをしたが、答えに窮すると平川先生は返事をよこさず「会って話したい」などと言い出す。しかも平川先生に関しては、私はほとんど、活字情報のみに基づいて書いているのであって、もしそれがスキャンダラスに見えるとしたら、それは平川先生ご自身が、面白くてスキャンダラスな人なのである。   
 しかもこの対談は、加藤周一とか森有正とかの、それこそゴシップ的な悪口満載で、昔から平川先生は、人の追悼文で悪口を書いたり、マサオ・ミヨシが日本で英文学者として認められないのが不満だったとか、学習院の助手だったのに米国へ渡って大江健三郎など持ちあげているから天皇嫌いであろうとか書く人で、総合すると平川先生は、自分がゴシップを書いたり悪口を書いたりするのはいいが小谷野が書くのはいかん、と言っているとしか思えないのである。  
 世の中には「真正保守」とか「真正右翼」と名乗る人もいるのに、それを否定するのが平川上皇のおかしなところである。「殺し文句」というのが、誤用としても、論壇から抹殺されるとかいう意味であれば、上皇はその後、私が一部批判した『アーサー・ウェイリー』(白水社、二〇〇八)で日本エッセイストクラブ賞をとっており、全然抹殺されてなどいないではないか。
 平川上皇は、自分は「国際派」だからナショナリストではない、と言う。私には「国際派」という言葉の意味が分からない。まあ一般的に、海外へよく行っているとかいう意味なのだろうが、海外にも日本ロイヤリズムの同調者はいるわけだし、別段何の意味もない。というより、なぜ事実を言われて困るのか。
 それくらいなら、堂々と、自分が天皇崇拝家であると表明する小堀先生のほうがましである。あるいは谷沢永一のように、天皇を崇拝しない者とは袂を分かつ、と言うほうがすがすがしい。
 もう一カ所は、相変わらずチェンバレンの悪口で、「ウェイリーも、これだけチェンバレンのことを否定的に書いている、ということを新たに示しても、それでもまだ『チェンバレンチェンバレン』と持ち上げているのが小谷野敦。よく読みもせず、私にからんできて…」その後太田雄三が、元助手だったが、私にからんでいる、とある。
 私はチェンバレンを持ち上げてなどいない。平川先生がチェンバレンを批判するのがことごとく的外れないしいちゃもんだから指摘しているだけで、手紙さえ書いたのにそれには返事もせずにこういうことを言うのだ。上皇にとっては批判されると「からむ」ことになるらしい。太田雄三にしても、英文著書で平川説を論駁し、それはヒュー・コータッツィも書評で取り上げ、日本のハーン信奉者は読むべきだとしているのに、平川上皇はこれには一切答えない。
 なに、チェンバレンの『日本事物誌』は、天皇制を批判しているというので、戦前は邦訳されなかった本であって、平川上皇はだからチェンバレンが嫌いなのだ。またその上皇の『アーサー・ウェイリー』は「英語のできない国文学者」とか悪口も多いが、もし本文しか読んでいない人がいたら注を精読すれば、他人の悪口だらけなのに驚くだろう。「エッセイストクラブ賞をとった良書」と思って読んだ知的な中年女性など、注まで読んだら「おおこわ」と肩をすくめるに違いない。  
 78歳になる平川先生のことなど放っておいてもよい。だが平川氏よ、この対談を読んで、あなたの言うことを信じる人などあまりいませんよ。晩節を汚さぬよう、ご自重いただきたい。
(付記)夕方、上掲の西より電話があり、次号で反論も訂正も載せるつもりはない、理由はない、との切り口上であったが、別段この記事が上がらなくても同じだったろうと思う。
http://banyahaiku.at.webry.info/200910/article_30.html
 別に私が「A新聞の記者」に言おうが言うまいが、
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/8d708fb93d1219f8963fe5ef1bef2241
 何も知らない人だってそう思うよ。
http://a-mizuno.blog.so-net.ne.jp/2009-09-17
今井源衛がサイデンステッカー英訳から影響を受けたなんて考えられないのだが、サイデンさんは天皇制に批判的だったから、平川上皇にはやはり気に入らないのだ。
 (小谷野敦