椎名亮輔氏が吉田秀和賞をとったらしい。『デオダ・ド・セヴラック』という、私など聞いたこともなかった作曲家の伝記で。椎名さんは大学院の先輩で佐伯順子さんの一つ上、今は同志社女子大教授である。
私は大学院へ入って無謀にも渡辺守章先生を指導教官に選んだのだが、椎名さんはフランス音楽を専攻していたからやはり渡辺先生が指導教官で、だから授業で一緒だった。貴公子風の人で、東大教養学部フランス科卒で、当時は博士課程三年だったろう。ピアノを弾く人でもあった。
その年の大学院授業は世阿弥の能楽論で、出ていたのは私と椎名さん、佐伯さん、あと文学部の院から、倫理学科の吉村均、美学科の筒井佐和子という人たちが来ていた。吉村氏は今は東方研究会の研究員だが、筒井さんのほうは、世阿弥の論文などあるが、その後どうなったか知らない。
世阿弥の能楽論というのは、難解である。「風姿花伝」などは分かりやすいのだが、「花鏡」とかその他が難しいので、それを渡辺先生らがさらに難しく講釈する。だから、授業についていけていたのは、世阿弥を専門とする文学部の二人で、あと三人はいくらかおいてけぼりだった。私は椎名さんに「あれ、分かりますか」と訊いたら、「分かるわけない」と笑っていた。佐伯さんは、分かるとは言っていたが、だからといって議論に参加するほどではなかった。翌年渡辺先生は、比較の院生は全然ダメだと憤慨していた。
一年の終わりには、吉村氏の修士論文を渡辺先生が読んで、「面白いけどはたしてこれが倫理学の論文か」と言っていたが、倫理学科というのは、和辻哲郎がやったことなら何でもいいのである。
その後つらつらおもんみるに、演劇とか小説の創作理論というのは変なもので、坪内逍遥が典型的だが、小説や楽劇の理論を建てるけれど理論通りにいかない。プロレタリア文学もそうだし、横光の「純粋小説論」だってそうで、スタニスラフスキーとか鈴木忠志のような、稽古のメソッドならいいのだが、世阿弥当時の能楽の実際が分からない時に、理論だけ研究しても、さして意味があるとは思えないのである。
ちょうどその秋に『遊女の文化史』が出て、私はこの授業中に佐伯さんからサインを貰ったりしたのだが、吉村氏が「読みました」と言って、「こう、いろいろ、言いたいことを抑えている気がしました」などと言っていたのは、まあお世辞の類であったろう。
デオダ・ド・セヴラック 南仏の風、郷愁の音画 (叢書ビブリオムジカ)
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