吉村昭が違って見える

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私は吉村昭(1927-2006)の愛読者である。しかし全作品はあまりに多すぎて読み切れていない。エッセイ集『蟹の縦ばい』(1979、のち旺文社文庫、中公文庫)を読んだら、うすうす気づいてはいたが知らなかった面を知った。

・大酒飲みであることを知った。多作な作家は、馬琴、漱石、川端など下戸であることが多い。そうでなければ多作できないだろう。吉村は多作な上に取材を必要とする小説を多く書くから、ものすごく多忙で、酒を飲んでいる暇などないだろうと思っていたから意外だった。

・世代相応に男尊女卑家であることが分かった。妻は津村節子で、小説を書いてもいいという条件で結婚したが、本心では小説を書く妻などは嫌だったという。呆れたのは、自分の誕生日に、夕方から近くの飲み屋へ出かけて酒を飲み、夕飯の支度ができたら飲み屋へ電話がかかってきて、それから家へ帰るということにしていたら、飲み屋で学生たちと知り合い、亭主関白ぶりを見せつけようとして、電話がかかってきてからも30分くらい飲んでいたら、また電話がかかって、ほかの人(子供二人)はみな食べてしまったと言われたという話だ。

芥川賞候補に四回なって落とされた不遇時代の話が有名だが、両親を早くなくしてはいるが実家は会社をやっていて兄がそれを継いでおり、吉村は本当に苦しい時はその会社へ勤めに出ていたりして、本当の貧乏ではなかったことは知っていたし、70年代には津村が少女小説を書いてかなり稼いでいたことも知っていた。だが家には常勤のお手伝いさんがいて、谷崎潤一郎のように家族同様にしていたと知り、ブルジョワだなあ、と思った。

・子供のころ、浅草住まいで、家の近所に四軒の映画館があり、ちょっと足を伸ばせば12軒あり、時どき親の目を盗んで映画を観に行っていたという。映画だってカネがかかるし、やっぱり都会のブルジョワ育ちなんだなと思った(高校から学習院だし)

・これは時どき思うのだが、小学校の担任の先生の名前がフルネームで書いてある。もしや昔の通信簿には担任のフルネームが書いてあったのだろうか。私はかろうじて苗字を覚えているだけだ。

 

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