ボストニアンズ

 ヘンリー・ジェイムズの『ボストニアンズ』を、谷口陸男の訳「ボストンの人々」(中央公論社・世界の文学、1966)で読んだ。長いので四日もかかってしまったが、面白かった。ジェイムズというのは、英米文学者の間での評価は高いのだが、日本では一般にはあまり読まれておらず、未だに『ねじの回転』あたりを代表作だと思っている人もいる。あれはジェイムズのものとしては特殊な部類である。
 『ボストニアンズ』にせよ『ワシントン・スクエア』にせよ、邦訳が一つきりというのも、人気がないからだろう。まあ代表作の邦訳が全然ないイヴリン・ウォーよりはましか。
 精細な心理描写がジェイムズの読みどころだから、映画化もあまりうまく行かない。『鳩の翼』は例外的にうまく行ったが、『ある貴婦人の肖像』も失敗だし、『ボストニアンズ』にいたっては、あの名匠ジェイムズ・アイヴォリーが無残な失敗作を作っている(1984)。
 『ボストニアンズ』は、女性解放運動を意匠にして、それをバカにしているようなところがあるから、現代の研究者はとりあげたがらないだろうが、実際は三角関係の物語で、ヴェリーナ・タラントという、演説の才能をもつ美少女と、その庇護者のミス・オリーヴ・チャンセラー、その従兄で南部ミシシッピからやってきたバジル・ランサムの三角関係なのだが、ここは複雑で、ヴェリーナをめぐる三角関係になるのである。南北戦争の後なので、北部ブルジョワリベラリズムと、南部の保守主義も対立している。オリーヴとヴェリーナの関係は、初めて女性同性愛を描いたともされているが、精神的なものにすぎない。オリーヴはヴェリーナを女性解放運動の女神に仕立て上げ、生涯独身で、自分の伴侶にしてしまおうと思っている。だが、ヴェリーナに一目ぼれしたバジルは、熱心に彼女に迫って遂にその心をひきつけ、ラストシーンの、ミュージックホールでの演説会をやめさせて「駆落ち」するに至る。
 ある種の英米文学者にとっては、女性解放運動をバカにしている上、同性愛が異性愛に敗北するのだから、うーんと唸って気絶しそうなくらい不快な小説であろう。アイヴォリーの映画が失敗したのも、そのあたりに配慮した結果と思われる。つまりオリーヴをヴァネッサ・レッドグレーヴにして、オリーヴの悲劇という描き方をしようとしたのである。
 バジルは52歳で死んだクリストファー・リーヴで、当時32歳だが、レッドグレーヴは47歳にもなっていた。原作ではもっと若いはずである。しかしひどいのはヴェリーナのマドレーン・ポッターで、年齢不詳なのだが、とうてい美少女とは言い難い。
 だいたい「彼が彼女についてこう思っていることに彼女が気づいていることは彼も知っていた」式の心理描写がジェイムズ作品のみそなのだから映画がうまく行かないのは当然ながら、これではとうていうまく行くわけがない。
 ところで訳者の谷口陸男は東大駒場の教授だった人だが、この人はジェイムズの処女長編『ロデリック・ハドソン』も訳している(世界文学大系、筑摩、1963)。これもかなり面白い小説だが、邦訳はこれだけである。しかし私はこれは邦訳は読んでおらず、大学院で行方先生の授業で二年かけて読んだのである。二年目のガイダンスの時に先生は、これには翻訳もありますが、これがめっちゃくちゃなんです、と言い、私の前に座っていた芳賀先生が振り向いて「誰の訳だ?」とにやにやしながら言うから「谷口陸男です」と言うと、ふん、という感じで前を向いた。
 確かその当時、谷口『ロデリック』も見て、確かに変だと思った気がするのだが、『ボストンの人々』は、一読した感じでは別におかしくはなかった。

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