大阪大学の過去

ふと目に止まった本があったので取り寄せた。『ひとつの抗議 ある大学人事の裁判記録』(阪大教養第1003号による公募人事を考える会編、第三書館発行・新泉社発売、1980)で、届いて初めて知ったのだが、京大出身の元フランス文学者・西川祐子(1937- )が、1972年に、大阪大学教養部のフランス語教員の公募に応じたところ、はじめ採用されたと言い、当時勤めていた帝塚山学院大学に退職願を出したら、二年待たせて阪大での採用はなしになり、西川らが損害賠償を求めて裁判を起こし、勝訴した事件であった。西川の夫はフランス文学の西川長夫で、支援者のリストには中川久定佐々木康之、松本勤、山田稔といった京大仏文科出身の面々が並んでいる。阪大側で出ているのは大高順雄という人がいて、この人は名前を聞いたことはあるが、何しろ私が阪大へ行ったのは94年だから20年も前の事件で、私の当時は関係者はいなかった。この裁判の途中に、外国語教員が教養部から独立して言語文化部を作っている。

 裁判には勝ったが阪大に採用されるわけではなく、西川は非常勤講師をして、のち京都文教大学に専任となっている。フランス文学は実質上やめて、その後は樋口一葉とか日本の住居研究などをもっぱらとしているが、私は97年ころか、国際日本文化研究センターの研究会で西川に会ったことがあるが、もちろんかつてこんな事件があったことは知らなかったので、あちらでちょっと表情が曇ったような気がした。

 なぜこんなことになったのか、理由は阪大側でも提示していないのだが、私の最初の妻は言語文化部の英語の教員だったが、採用されたのは90年代で、その時点で、阪大言語文化部では女性が初であり、それも、早すぎるという声があったというから、それより20年前では、そういう理由もあったのだろうと思われる。しかし当時、この裁判を報道する新聞記事の切り抜きも本書にあがっているが、「朝日新聞」が「ひどいわ阪大 採用 ホゴ」という見出しで、「わ」の字が小さくなっており、ああそういう時代だったのだなということが分かる。

西川祐子さん | 『ジェンダー研究を継承する』アーカイブ特設サイト | ジェンダー社会科学研究センター