査読を信用しない

http://sociology.jugem.jp/?eid=277
 確かに社会学にはそういう傾向があるのかもしれないが、少なくとも私は査読者って信用していないんだよね。
 たとえば私のこの論文は、結果として明治大学の紀要に載せたんだが、
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20050814
 田中貴子さんがよく寄稿している日本文学協会の『日本文学』に投稿して没になった。短すぎるから、というなら仕方ないと思いつつ、没の理由を聞かせてくれと言ったら、もちろん無記名の返事が来て、
 「『源語提要』の著者が五井蘭洲であることは、伊井春樹編『源氏物語注釈書・享受史事典』に暗に示されているから」というのだよ。なんで「暗に」示すのか。明に示せばいいではないか。私はそれで日文協を脱退して、「まじめにやれ」という手紙を書いておいた。田中貴子の「安徳天皇女性説について」なんて、エッセイでしかないものを載せる雑誌だからね、あれは。
 査読者が常にまじめである、という保証はどこにもない。要するにこれの場合は、野口武彦とかへの遠慮としか思えない。太郎丸氏は、査読者がまじめであるという保証をどこで得るのだろう。それとも、社会学の世界では査読者はみなまじめなのだろうか。
 私は「阪大を去った」けれど、去りっぱなしである。生活がかかっているから、原稿料の出ない学会誌には、原則として書かない。しかし、私は比較文学者である。
(付記)文学者ではないらしい人から疑問が出ているが、国文学の学術雑誌といったら、全体的なものとして、東大の『国語と国文学』、あと『日本文学』が投稿を受け付けている。前者は私は二度没にされたが、没の理由の提示はなし。あと『日本近代文学』というのがあるが、これが「ポスコロ、カルスタに非ずんば論文にあらず」という編集姿勢であったことは石原千秋が書いている。http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071007 
 あと比較文学では、学会誌は『比較文学』で、これは載せたことはあるが投稿したことはない。『比較文学研究』は何度も載せているが、数年前に査読制になったはず。『英文学研究』は、ちゃんと末尾に、投稿論文の評価について載っているが、毎号一、二本しか論文が載らず、危機的状況が続いていたが、2004年から改革が行われて、今は6-7本載っているらしい。

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(米村みゆき)
四月一日は人事異動の日である。私が未だに執念深く大学の人事に関心を抱いているのは我ながら情けないが、東大駒場は、4月1日に新任教員をウェブ上で発表する。まああと、シラバスで分かるのもある。市野川容孝と佐藤俊樹が教授昇任。うぬぬ。あと比較文学には寺田寅彦という准教授(フランス文学)が入った。あと専修大では米村みゆきが准教授というのは聞いていた。
 驚愕。阪大文学部比較文学の教授だった内藤高さんが死んだのは昨年八月で、もう一人の教授の米井力也氏が十月に53歳で死んでいたことが分かった。まるで呪われているようだが、私は呪っていませんよ。後任には橋本順光が横浜国大から移ったようだが、今年39だから准教授だろう。ずっと非常勤をしている佐伯さんを教授にすればいいのに。橋本順光は阪大英文科を出て、東大比較の研究生をしていて、その後地域文化の院を出て英国で博士号をとった人のはず。なぜか私が阪大にいる頃、既に東大にいたのに、阪大生協のパンフに『男であることの困難』のやたら難解な書評を書いていたと記憶する。

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荻上チキ君が塾の宣伝をしてくれている。ありがとう。チキ君、君には負けたよ。
 ところで内藤朝雄の新刊だが「また子供と学校限定のいじめ論かよ」と思いつつ立ち読みしたら、この次は大人社会のいじめも論じるとあった。鶴首して待ちたい。

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 田中貴子は、私の『蜻蛉日記』に関する記述に対して「新大系の解説くらい読め」という意味のことを言った。それで私が、今西祐一郎の説くらい知っている、と返した。ところが今度は、「自分は妹尾好信の説のことを言っているのであり」「早とちり」であると言う。しかし妹尾説も今西説も、要は同じである。(4日に続く)

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白幡洋三郎編『旅と日本精神』が届いた。巻末の執筆者一覧は現職が書いてあるが、その前の参加者一覧は、2000年の肩書だったりする。
 そういえば、大学教授が定年になると、名誉教授になる場合でも、なるまで時間があくから、その間は「元教授」になる。天皇が死んでも、正式に諡号がつくまでは「大行天皇」になるみたいなものか。