1998年度、私は一年だけ大阪大学で大学院の授業をもった。助教授になったのは97年だが、それから一年たつと大学院の授業をもつのだ。そして99年には辞めたから一年だけ。
当時、私はまだ演劇研究に意欲をもっていたので、比較演劇というような題目にした。しかし、阪大言語文化研究科には、演劇をやりたいという院生はいなかった。だから、結局は私が見せておきたいと思う演劇のビデオを見せて少し話すというのが通例だった。四限だから、二時間以上かかるビデオをまるまる見せて、終わるころには六時を過ぎ、秋から冬にはすっかり暗くなっていた。
一人だけ、文学部の院から、演劇専攻の古後奈緒子さんが来ていて、のちに『シアターアーツ』評論新人賞を受賞することになる。だから話はほとんど古後さんとだけ成立していた。
ほか、言語文化研究科の院生は女子二人に男一人、この男が上田哲二氏で、もとより大学院に年のいった人はしばしばいるが、上田氏は、そのころ私が35歳だったのだが、すでに44歳になっていた。今まで何をしていたのかと訊いたら、理系の大学を出て会社勤めをしていたが、一念発起してアメリカへ渡り、修士号をとってきて、台湾の詩を研究していると言っていた。独身らしく、不思議な人だった。
それから五年ほどして、上田氏は博士号をとり、それを本にしたものを送ってきてくれたが、何しろ台湾の詩に関するもので、猫に小判だった。だが上田氏はその後台湾に渡り、台湾詩の翻訳を続々と出していた。しかるに二年前、病をえて、58歳で死んでしまった。
やはり、最後まで独身だったのだろうか。