音楽には物語がある(57)かもめのイメージ 「中央公論」9月号

 NHKでやっていた「土曜ドラマ」の「松本清張シリーズ」の一つとして1977年に放送された「たずね人」は、実は松本の原作はなく、早坂暁のオリジナル脚本だった。筋は、戦争中にインドネシアに駐屯していた日本人兵士と現地人女性との間に女の子が生まれ、成長したその女性(鰐淵晴子)が林隆三のカメラマンの手助けで父を探しに日本に来るというものだ。実は父は与党の大物政治家になっていて、醜聞を恐れて別の人物を替え玉に立てる。テレビのご対面番組で対面したこの偽父は、子供のころよく歌ってくれた思い出の曲だと娘がいう、中山晋平作曲の「砂山」を二人で歌うのだが「雀鳴け鳴け」のところを「鴎」と間違えて歌い、林隆三が疑念を抱くというのが発端だ。

 北原白秋の「砂山」には、中山のほか、山田耕筰も曲をつけているが、私はこの当時中学3年で、初めてこの曲を知ったのだが、「鴎」のほうが自然な気がして、ちょっと不思議に思った。だが今考えると、鴎という鳥が海辺を象徴する鳥として美化されたのは、大正時代よりあとのことだったのではないか。

 たとえば、1932年(昭和7)には丸山薫の詩集『帆・ランプ・鴎』が出ており、「かもめの水兵さん」は1937年の歌で、武内俊子作詞、河村光陽作曲でヒットしている。もっとも「森鴎外」の雅号には鴎が入っており、これは千住の「鴎の渡しの外」からとったというし、若山牧水の歌集『海の声』は1908年(明治41年)で「白鳥は悲しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」は、杜甫の「飄飄何所以 天地一沙鴎」からとられた、鴎のことだとされているし、この歌集はほかにも鴎を詠み込んだものがある。しかし、古典和歌に鴎が出てくるのは思いつかない。「都鳥」というのは『伊勢物語』に出てきて、これはユリカモメのことだとも言われているが、鴎ではない。

 「ソーラン節」にも「かもめに問えば」という歌詞が出てくるが、この歌が一般化したのは、戦後に三橋美智也が歌ってヒットしてからだろう。1963年にソ連の女性宇宙飛行士テレシコワが人工衛星で地球の軌道に乗り、「私はかもめ」(ヤー・チャイカ)というコールサインを出したことで、このコールサインは流行語にもなって、「ウルトラQ」(1966)で、人工生命M1号が宇宙へ飛び出して軌道に乗り、「私はかもめ」と言っている。しかしこの言葉はチェーホフの戯曲「かもめ」の中で、名声を得ようとしている女優志願のニーナが、若い人気作家トリゴーリンの愛人となるが子供を産んだあとで捨てられ、半ば狂気のようになって繰り返すセリフで、美しいイメージではないのである。

 鴎がさらにポピュラーな鳥になったのは、「かもめのジョナサン」以来であろう。原題は「ジョナサン・リヴィングストン・シーガル」で、作家リチャード・バックが1970年に出して、スピリチュアル小説としてヒッピーの間で広まり、73年に映画化され、日本では74年に五木寛之訳として刊行され、これもロングセラーになった。下訳をした國重純二(故人)はそれで家を建てたなどと言われていた。バックの次の作『イリュージョン』は、麻薬作家と見られていた村上龍が訳している。

 1978年には渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」や、中島みゆきが作って研ナオコが歌った「かもめはかもめ」がヒットしているが、どちらもチェーホフの系統を引いた「ふられた女」のイメージである。

 実際の鴎は、雑食鳥類で、海辺の生物の子供などを捕食することが多いが、20世紀になってからずいぶん文化史の中で有名になった鳥だと言えるだろう。

小谷野敦