高田康成「キケロ」(岩波新書)は名著

 高田康成は東大駒場の英語の先生で、専門はチョーサーなのだが、シェイクスピアにも通暁しており、ラテン文学を中心とする碩学で、私が行く前に阪大の言語文化部におられた。航空学校からICUをへて東大大学院へ来た変わり種だが、今では学士院会員である。

 その「キケロ」を読んでいたらあまりの名著ぶりに感激して図書館で借りていたのを古本で買うことにした(新刊はすでに品切れ)。

 ペトラルカがキケロの書簡を発見して感動し、しかし読んでいたら「軽佻浮薄な不幸な老人」を見出してがっかりし、キケロに対して手紙を書いたという。ところがキケロにそういう面があったことはプルタルコスの「英雄伝」に書いてある。実はペトラルカはギリシャ語が読めなかったので読んでいなかったという、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の発端に近いくらいのつかみの見事さから始まり、キケロの受容史を語るのだが、この著者、西洋文化について知らないことはないんじゃないかという博識ぶりで説き去り説き来る、痒い所に手が届く、ギリシャ文化はどんな風に近代ヨーロッパに浸透したのか考えていたのが、後ろのほうにちゃんと書いてあった。

 シェイクスピアにせよコルネイユにせよ、ギリシャ悲劇ではなくセネカの劇を通して古典劇を知っていたので、ラテン文学については知らねばならないと思っていたのだが、見通しが明るくなった。

 だがこの本は売れなかったようで、ちょっと私は「しめしめ」と思ったりもしたのである。本当の名著は隠れているものである。