齋藤慎爾の『周五郎伝』を入手した。『寂聴伝』は、瀬戸内寂聴がはっきり書いていないことをはっきり書いていて良かったが、まだ全部は読んでいない。で『周五郎伝』もパラパラ見て、実はあまり感心していない。山本周五郎直木賞を辞退した件で、山本があれこれ言ったのが余計だとしている。それはいいとして、藝術院会員に選ばれて辞退した作家たちをあげて、いちばん清々しかったのが武田泰淳だと言い、辞退したことを死ぬまで公表しなかったというのだ。公表されたのは、次に木下順二が辞退した時である。
 だが、公表しなかったのは、公表すると右翼の脅迫とかがあるからではないのか。少なくとも私はそう思っていた。それを考慮に入れず「清々しい」とするのは、どうか。
 あと全体に、富岡幸一郎はとか川上弘美は、とか、現代人が山本をどう読んでいるかの話が多いが、これは伝記には不要だし、齋藤が時代に媚びているように見える。

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週刊ポスト』の最後のページに、坪内祐三の美術批評があるのだが、今回はなんだか、読書感想文が書けなかった中学生の、いいわけ感想文みたいだった。自分は世田谷に住んでいるのでラファエロ展は上野なので遠くて行きそびれたということを延々と書いて、最後に、ラファエロ前派というのはラファエロ以前に戻そうという美術運動だった、と、まるで初めて知ったかのように書いているが、そんな基礎知識を今まで知らなかったはずがない。もしかしたら今では、こう書かないと「上から目線」とかいわれのない非難を受けてしまうのだろうかと、索然とした。 

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『ラテン詩人水野有庸の軌跡』を図書館で借りた。水野は京大出身、ギリシャ哲学専攻だったが、ラテン語詩にのめりこみ、ウェルギリウスの詩が下手だと言って自分で『アエネーイス』を書き直したという奇人。大谷大学助教授から同短大教授を務めて定年。後年は日常会話でもラテン語で話し、人々が離れて行ったという。木村健治(1946- )さんは京大の学生から院生だった時に水野に教わり、1974年に阪大の教養部から語学教師が独立して言語文化部を作った際、水野が古典語教員になるはずだったのが、教授会がまだなく人事が混乱していて、結局翌75年に中山恒夫が入り、90年に中山が筑波大へ去ると木村氏が入ったという。