1999年ころのことだが、哲学者の中島義道は、日本における公共放送を騒音だとして弾劾することで知られていた。当時中島は、こんなにうるさいのは日本だけだと言っており、他の日本人はそれが気にならないらしいから、自分はあたかも日本に滞在している外国人のようだと言い、「私はあたかもトク・ベルツだ」と書いていたのだが、明治期に日本で医師として働いていたドイツ人で『ベルツの日記』の著者はエルヴィン・ベルツで、トクというのは日本人妻との間に生まれた徳之助のドイツ名だが、岩波文庫の『ベルツの日記』が「トク・ベルツ編」となっているので、中島は現物を読みもしないで、ちらっと見ただけでベルツの名前をトクだと思ったのだろう。当時私は中島とはのちのように険悪な関係ではなかったから、訂正したら素直に首肯していたが、要するに『ベルツの日記』を読みもしないで適当なことを書いていたわけで、けっこういい加減なやつだなあ、と私は多分当時ちょっとは思ったことであった。なお『ベルツの日記』は、別に日本で異邦人的な嘆きを抱いて書かれたものではなく、むしろ自由な精神の持ち主が明治維新後から日露戦争以後までの日本を観察して書いた貴重な文献である。