私は近ごろ、日本の近世文化は低劣なものだとしつこく言っているので、怒っている人もいるだろうが、あれは、好きな人は好きでよいので、「みんないいと言うけれど、そうかなあ」と思っている人が、やっぱりそうか、と思ってくれればいいのである。
さて、浮世絵であるが、浮世絵は当時のサブカルチャーである。さして価値のあるものとされていなかったのが、幕末明治初期に、西洋との交易が始まると、包み紙なぞに浮世絵が使われていて、西洋人がそれを見て、おおこれはすごいと評価し始めたので、日本人も追随し、大正期にはドイツのユリウス・クルトが、写楽がすごいと言い出したので日本人も追随した、といった歴史がある。
浮世絵の中心は、美人画と役者絵である。つまり今でいえば、週刊誌のグラビアである。最近は写真を論じる学者も増えてきたが、それだって、篠山紀信などを論じる者はあまりいない。結局はキャパであったり、ブラッサイであったりするわけだ。写真家で藝術院会員になった者はまだないが、なるとしても篠山や荒木ではないだろう。
対して、西洋人がすごいと言ったのは、北斎や広重である。あれは浮世絵としてはかなり本道から外れたもので、北斎なぞは美人画も春画も描いたけれど、富嶽三十六景とか東海道五十三次なんてのは、浮世絵のはずれのはずれである。
あとになって、美人画の歌麿も評価されるわけだが、日本にも未だに歌麿のちゃんとした伝記はない。まあ、分からないからだが。あの異様に長い顔は、やはり西洋人からすると、オリエンタリズムで評価したのだと思うのである。