森銑三の西鶴論

文學界』八月号に、角地幸男がドナルド・キーンについて書いている中に、森銑三西鶴についての仮説に触れたところがあった。しかしこれは直接キーンとは関係せず、キーンと対談した石川淳が訊いたことなのでやや分かりにくい。

 森は図書館勤めの「在野」とされる近世書誌学者で、谷沢永一芳賀徹小堀桂一郎といった反東大国文を標榜する右翼系学者に崇拝されていた。別に森に右翼思想はないので、たまたまではなかろうか。芳賀は平賀源内について調べた人として崇敬していた。

 森の西鶴仮説は、「西鶴西鶴本」(1955)「西鶴本叢考」(1971)などで展開されており、「好色一代男」は西鶴の作だが、それ以外の西鶴作とされるものは、弟子の北条団水らの代作だというものだ。国文学主流はこれを認めなかったが、森の論拠は、「一代男」は文章が違う、という文章美学から来るもので、「一代男」はあまりに文章が難解だったため、以後はやさしくした、ととらえるのが普通で、森は十分に論証ができていない。小西甚一『日本文藝史』も、森の論証に方法的欠陥があると言っていた。私は小堀に直接訊いてみたことがあるが、「西鶴工房」のようなものがあったんじゃないかと言っていた。谷沢などは関西大学出身なので、東大国文とその出身者を憎むこと激しく、冷静に判断しているのかは疑わしかった。